深読み過剰から歴史を語る
キングダムでふと考えたんだが・・・、
六大将軍制度の6人て誰に該当しているのかナァ??
蒙武が言うように昭王の代で始った六将といっていたが、本当に史実でもあっタンかな??
確か鄭問著『秦始皇』では六虎将という屈強な将軍達が描かれていたナァ。 勿論、王翦将軍が筆頭格だったし、蒙武、王賁もいた。あの漫画でも始皇帝は圧倒的な自信あふれる人物として描かれていたが、どこか孤独の臭いがあった惹かれるキャラだった。 短期で終わってしまったのがなんとも惜しい。
で、蒙武がいう六将とは誰を指すのか考えてみた。。。※ちなみに主簿は漢文読めないです。。。
一、白起 これがいないわけが無い!! 無敗のまま死んだ永遠の常勝将軍です。常に勝利を重ね、秦の版図拡大に最も貢献した将軍であるのは間違いない。武安君の称号があったっけか…。
二、王齕 オウコツ 上党の戦いで秦軍をおおいに武威を誇った。しかし、長平の戦いでは趙軍を押し切れずに白起に主将の座を明け渡した。けれども、その後代が変わっても活躍していたらしい。
三、司馬錯 歴史家司馬遷の遠祖に当たる将軍。だが、昭王の代で大いに活躍して蜀の制覇に多大な武功をあげる。
四、向寿 昭王擁立に貢献した丞相・陶侯の一族だが、結構に一軍を率いていたらしい。唯、軍才は公子としてはある方だったが即断で決するほどのずば抜けた戦争の才幹は無いと思われる。⇒こんな才能がポンポンあるほうが尋常ではないのですがね(笑)。 やがて白起の出番をこの向寿の椅子にすげ換わることになった。
五、王騎 たぶん、六大将軍で一番若かったんだろうと思う。 でも史実だと昭王の代から活躍していたのかナァ? 政の父親だったら史実に無理が無いんですがね。
で、最後の六番目がどうしても予想がつかないんです。
王陵か、張唐かとか思ったんだがいま一つにインパクトナ武功が見当たらない。で、誰に考えたらというとこうなった。
六、摎 この将軍で事実上、周王朝が倒壊している。 何故か二のオウコツの戦線と交代していることから結構な軍才があったのではないかと判断した。
以上、昭王の戦争の自由とやらが与えられたに相応しい将軍を出してみた。この中に当然のことながら信の初陣の戦線を率いた麃公将軍は該当できないし、丞相・応侯の親友たる鄭安平将軍などは勿論有り得ないだろう。
だれか、突っ込んでくれないかねぇええ。 六将の史実に近い六名は誰ですか??
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そもそも王騎が王齕なのか王翦なのか、全くのオリジナルキャラと判断すべきなのか、未だによく分かりませんしね。
そういや秦本紀見てたら昭襄王二十二年に蒙武が斉を攻撃してますね。けっこう年寄り?
キングダムの六大将軍に蒙武の父の蒙驁が入ってる可能性があるでしょうか?
投稿: nagaichi | 2008年3月 2日 (日) 09時45分
nagaichi侯殿、よくぞいらっしゃいました。
> そもそも王騎が王齕なのか王翦なのか、全くのオリジナルキャラと判断すべきなのか、未だによく分かりませんしね。
それぞれ別人ではないんですか? てっきりそう見ていたんですが…。でも王騎=王齕がありそうですね。長平の戦いで王騎が登場していたからナァ。
>秦本紀見てたら昭襄王二十二年に蒙武が斉を攻撃してますね。けっこう年寄り?
歴史家の読み違えではないんですか?? 歴史書も記述間違いがあると考えて読んだ方がいいかも(笑)。あるいは同名別人?
>蒙武の父の蒙驁が入ってる可能性があるでしょうか?
五遷・主簿は無いと思っています。昭王在世から活躍し始めていないので・・・。荘襄王なら大いに活躍していきますが。まあ、だから呂氏の下に蒙武がいるのですがね。ということは親子二代で呂氏派か!
それにしても昭王の在世は怪物がうようよいますよね、政治家も軍人も・・・。ああいう黄金時代が日本の政治にも到来するのでしょうか? 今の政治家にできそうな気がしないと思うのは私だけですかね。
投稿: 五遷・主簿 | 2008年3月 2日 (日) 22時54分
【史記列伝の王騎】
列伝(岩波文庫二巻 P126 3行目)
に、王騎(騎の字のヘンが違うが・・)という
将軍のことが一行だけある。
昭王50年に邯鄲を包囲した、とか。
このとき、王騎30才ぐらいだとすれば、
昭王はこの六年後に死に、三年後に政の即位、
その11年後に王翦の史書デビュー。
ということで、この「オウキ」が王翦だと
すれば、当時、30+6+3+11=50歳という
ことに。
将軍としては、働き盛りか。
また、統一間近の、対楚戦のときには老齢を
冷やかされていたから、その点でも合致する
のではなかろうか。
昭王の元では王騎だったが、王の死後引退し
ていたが、生まれ変わった気持ちで、政に使
えることにして王翦と名乗った、という設定
だろうか。
だとすると、今後の展開の中で、そのシーン
が出てくるはずだが・・
投稿: 一久 | 2009年3月20日 (金) 21時22分
ようこそ一久さん、コメントありがとうございます。
>王騎(騎の字のヘンが違うが・・)
この字はどうやら騎の古い漢字でよろしいようです。ですので、王騎という武将は確かにいたと。
>昭王の元では王騎だったが、王の死後引退していたが、生まれ変わった気持ちで、政に使えることにして王翦と名乗った、という設定だろうか。
使える⇒仕えるですよね。まあ、分かっていますので大丈夫でした。
確かにこのネタは十分に原さんも使ってくれそうな気がします。唯一の気がかりは、現時点で趙軍との戦いが連載中ですが、王騎将軍(『史記』中にある)はこの年に死んでいるということです。
投稿: 五遷・主簿 | 2009年3月20日 (金) 21時49分
史記の秦始皇本紀によると蒙驁、王騎、麃公に関する記述があります。ちなみに王騎の騎の字は齮となっています。註(注釈)によると蒙驁は斉国の出身で蒙武の父、蒙恬の祖父とあり、王齮は王齕とあります。
投稿: ヤス | 2009年6月 7日 (日) 02時05分
ようこそヤスさん、コメントありがとうございます。
>史記の秦始皇本紀によると
そちらだけでなく宮城谷昌光さんの小説を読んでみると一層、楽しいと思いますよ。一読の価値はありますので。
投稿: 五遷・主簿 | 2009年6月 7日 (日) 22時15分
亀レスですが
史記の秦本記だとオウコツ
始皇本記だとオウキ
注釈で二人は同一人物って出てますな。
原先生のミスかと。
投稿: | 2010年4月 1日 (木) 14時38分
???
>注釈で二人は同一人物って出てますな。
果たしてそのまんま受け取ってもいいかどうか…。史記は結構司馬遷の史料読み違えとかあったりするのだとか。
漫画は十分ひねってあるし面白いから構いませんね。ミスというよりあえてそうしたのかも。
歴史学では困りますけれど。興味楽しみを史実ネタまで拡げてくれるのは素敵だ。
投稿: 五遷筲始 | 2010年4月 2日 (金) 20時10分