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平和ではなく自由を尊ぶ!

今から61年前の8月9日、広島に続いて長崎に原子爆弾が落とされた。

※旧ブログからの写し。

大量殺戮兵器が主権国家に、二度にわたり使用された。これ以後、朝鮮戦争、ベトナム戦争、湾岸戦争等の多くの戦争が起っているが未だにこれほどのジェノサイドは無い。(あるとすれば中国内戦くらい) 

この原子爆弾開発に係わった人たちが広島、長崎に訪れて被爆者と話をしたTV番組があった。平和への祈りを捧げながら、原爆のことに触れるとリメンバー・パール・ハーバーと戦争の早期終結の貢献をしきりに呪文のように繰り返していた。

 幸いにもこの番組を見ていたが(録画できなかったが)、戦争だから仕方がないという都合のよさに隠れている有様は、神様が魂をお許し下されるのだろうかと落胆したことを覚えている。

 確かに原爆が落とされた9日から本土決戦をすることなく、日本は15日に敗戦を迎えることになった。 戦争の早期終結となった。 もし、そのまま日本が戦争を続行していたらどうなっていただろう? 日本が滅んで、イラクのようになったかもしれない。しかし、勝つアメリカだって対処の仕様が無かったとも思えるのだ。領土問題で紛争地域を抱えることになったし、原爆被害の記録だって隠蔽しづらくなっただろう。 それを契機に人道の罪との大義名分から共産主義の台頭は更に拍車がかかる事が十分にありえたと思う。

 戦争が早期終結になったのは、寧ろアメリカの方が望んだからだとも思えるのだ。余りの原爆の被害を悟られる時間を与えないようにと…。

        

  現在まで続く戦争を考えれば、戦争の早期終結に核兵器は繋がらないと思える。核兵器は現在まで争いの温床となっている。核兵器を持つことでならず者政府に有力な外交カードを持たせる威嚇の効果を産み落とした。 その核兵器を防ぐために他の国々も核兵器を持つようになり、今後はそれが絶えないだろう。 日本でも北朝鮮のミサイルに怯えているではないか。 猛烈な火力で攻撃されても抵抗をやめない中東の国家のような現実を見ているではないか。

 平和が大事と言いながら、北朝鮮のならず者政府の攻撃に対処する軍事行為を否定する。湾岸戦争で莫大な資金援助をしたにも係わらず、金で平和を買ったと日本は世界から馬鹿にされた。 平和のための行動とは一体何だろうか?

 ねねむが思うに平和ではなく、自由を守るための行動こそが平和のための行動ではないだろうか? 

 平和ではなく自由を尊ぶ! 自分の力によった自由という名の自分勝手では無く、他者の都合も含めて相互理解を務め、自分と相手の自由を理解することこそが何よりの平和の貢献だと思うのだ。 その平和の貢献のために相手の自己都合的な行為、それが軍事的行為であっても頑として止める。 国として相手の血迷った行為を諫止する意味で。 諫止する、それは政府の自分勝手から自国の国民を使役させない行為なのだから、無辜の民を殺すような核兵器は不要になるはずだろう。

 戦争の早期終結だからといって無辜の民まで殺す戦争理由は無い。 基本的人権の尊重、信仰の自由を踏まえし自由を守る。 それが相手にもあることを真摯に受け入れる。 それから自分の自由と相手の自由を交渉するのが、本当の戦争の早期終結への行動ではないだろうか?

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