兵家とは完全な勝利を追及する。蒼天航路第八戦
#「業火の奸雄」
潁川で曹操、孫堅が着実に武功を上げていく。黄巾賊を撃破していく。
曹操は夜は夜で『孫子』の注釈を加えている。⇒曹操の孫子注釈は現在まで残るほどの偉業ですが、彼は他にも『接要』なる兵書を書いています。また、歩兵の戦いについても書いていて、呪術と戦術を切り離した最初の人だとさえの評価もあるほどです
。
曹操の帳に張奐が入る。張奐は昼は昼で初陣とは思えないほどの戦いぶりを見せ、夜は夜で兵家として学問までも修めている曹操の仕事振りに感嘆する他なかった。
曹操と張奐が外にでて話をする。死んでいた身でありながら曹操殿に拾われた、しかし、何かの運命で生きながらえていたら黄巾をつけていたと張奐が話す。尚も曹操に黄巾に天の理はありませんかと問うと、曹操は神の教えに武器を持たせた時から天の理から離れたと一言で断じる。⇒ (#`皿´)よく聞いとけよ、弁護士やら政治家やら人権主義者さんよ! あんた達の地下鉄サリン事件の対処で過ちはこれまでの五分と見れるかどうかを問うているのだぞ、この作品は!!! 曹操は私は武に生きるものとして、己の業を否定しないと語る。武によって武を制する我が身に天の理があるかを問うと曹操は未だに道を探していたのだった。
そして孫堅が突き止めていた黄巾賊の食料庫がある要地・昆陽に皇甫嵩将軍は配下の厳忠の一軍に佐将として曹操、孫堅の部隊をつけて攻略に向かわせるのだった。厳忠は曹操、孫堅を戦いがうまい小才子と決めてかかっていた。彼は二人の助けを借りずに自らの一軍で昆陽の黄巾賊に攻撃を開始する。
しかし、黄巾賊全ての食料庫を守備する将と軍が脆弱なはずもないのでした。将は張曼成でこれまでも官軍の攻撃を撃退してきた。 さっそくに厳忠軍は砦の罠と猛烈な賊の反撃で被害甚大、厳忠は被害の多さに一時退却を命じる。
が、曹操はこの官軍の弱さを砦の賊にひきつけられる餌にできると判断、自分の部隊に雁行陣をしいて両翼から砦の崖を登って奇襲作戦を命じるのでした。崖の上から攻め下って来た曹操軍に黄巾賊が動揺し、それを見計らって孫堅軍も中央から出撃するのでした。
砦の上から少数ながらも戦意高い部隊に驚く張曼成に、崖から登ってきた張奐が姿を現す。名乗る名もないと言うが、張奐は天に選ばれし曹操殿は張奐と呼ぶと、天に選ばれし頭首を持つ者同士で存分にと張曼成が猛然と張奐に戦いを挑む。
大きな剣と二つの斧で激しく戦う両者、しかし、次に崖から登ってきた夏侯惇が見たときには張奐は敗れてしまっていた。それを見て怒り心頭に達した惇が次に張曼成と戦う。しかし、ジュンはマンセーに押されてしまう
。瀕死の重傷を負いながらも張奐が斧を投げつけてマンセーに傷を負わせる
。援護を受けたジュンがマンセーの大賢良師張角様、万歳の断末魔を聞いて首をはねる。
張奐戦死(´;ω;`)ウウ・・・ 死の間際に張奐は死すべき骸だった自分が夢まで与えてくれて命を惜しむようになっていた。願わくば曹操殿の世を一目見たかったと武人の本懐を遂げて事切れる。
弾劾の下に敵将の首を落とし、夏侯惇が張曼成討伐を張奐の功として全軍に知らせる。曹操は張奐戦死を知る。 敵将が死んだと知った厳忠が再び軍を動かして食料を運び出すように部隊に命じる。しかし、黄巾賊の狼煙を見ていた孫堅が賊の情報の早さを見くびっている軽率な命令を受けずに、引き上げ準備を部隊に命じる。
曹操は砦の中で荀彧に策を求めますが、どれも戦いを終わりにするには程遠く退けてしまいます。仕方が無いと思ったのか曹操は自ら戦場を大きく見て作戦を判断することを教え、この昆陽こそが全戦局を動かす戦場なのだとヒントを教えます。
そして、ようやく全てを焼き払う火計に辿り着いた曹操軍は官軍・厳忠も置き去りにしたまま食料庫を燃やし尽くす。昆陽に火の手が上がったのを見た孫堅は激しく兵法に通じ、味方ですら危険極まりない男だと侮れない武将と見定めて戦場を南陽に移動します。この戦いで乱世の奸雄と呼ばれるようになった曹操でした。⇒本当に呼ばれるようになったのはもっと前で、先の橋玄の紹介で人相見の許子将に評された時の言葉でした
。
戦の夜、曹操は張奐殿の死を悼んでいました。そこに味方すら焼き払う曹操に劉備が会いに来ました。劉備は漢王朝を立て直す大義名分に劉家の血をひく自分を担いで戦ってもらいたいと大胆きわまる提案をぶち上げます。話の聞き手は荀彧と夏侯惇で、ジュンは呆れて怒鳴ろうとするのですが荀彧はしかと曹操殿にお伝えしますと一応の挨拶を交わすのでした。けれども、曹操は起きていたのでこの一件で劉備という奴がいると覚えておくのでした。⇒おそらく、省かれるだろうがこの戦功で曹操は済南国の相となります。
そして、五年後に劉宏様が崩御する。 北の怪物がいよいよ動くらしい。
(つд⊂)エーン なんか今週は栗本氏、張奐、劉宏様〔奇声〕と惜しい方々が相次いで亡くなってしまった。。。
生き残っている者達は軍師の声まで心もとないぞ、精進せいよ(*`pЗ´q)!!!
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蒼天航路
{{{第八話「業火の奸雄」}}}
{{{
黄巾党の勢いに敗戦が続く漢軍の中にあって、曹操と孫堅率いる軍だけが異彩を放って敵を退けていた。
二人が漢軍の厳忠の指揮下にが送り込まれたのが、黄巾党25万の兵の食料が備蓄してある昆陽の砦。曹操と孫堅ではここでも凄まじい強さを見せつけるが、その勢いは敵にだけではなく漢軍にも向けられた・・・
}}}
== 張奐と曹操 ==
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激戦区潁川に降りた、乱世を翔ける2匹の龍。
曹操と孫堅。
激戦は、さらなる激戦に。 [続きを読む]


>『接要』なる兵書
孫子の注釈を書いていることは知っていましたが、これは知りま
せんでした。
機会があれば読んでみます。
個人的には、孫子の注釈を書いているエピソードが出てきてくれ
たのは、嬉しかったです。
武人以外の面は、他の三国志関連の作品では、ほとんど書かれて
いないんですよね…。
>地下鉄サリン事件の対処で過ち
歴史を見ても、宗教が武力を持つと碌な事はないんですけどね。
地下鉄サリンで、オウムに破防法を適用しなかったことは、歴史
から見ても間違いでしかないんですけどね。
ペーパーテストでよい点を取る事を目標にしてきて、そのまんま
法曹界に入った人たちには、これがわからないんでしょうね。
>厳忠
筋金入りのアホですな。
攻城兵器も用意せずに、砦を攻めるとは…。
孫子は城攻めは下作と書いているように、城や砦は攻められる事
を前提に防御を固めている施設。
案の定、各種の罠に塞門刀車(棘のついた板が門のようについて
いた奴です。)で叩きのめされましたな。
>雁行陣
私は鶴翼の陣に、見ていました。
中国と日本では、雁行の陣は違いがあるようですね。
日本の戦国時代の雁行の陣は、様々な局面に対応できる陣形とさ
れていて、中国では射撃戦に適した陣とされているようです。
今回の話を見て再び考えたのですが、日本では攻城兵器はあまり
使用されていないですよね。
一次小説を書こうと各種資料を見ているのですが、中国やヨーロ
ッパに比べて、日本は本当に攻城兵器の出番がないんですよね。
信長あたりなら、大砲を攻城兵器として導入していても、おかし
くないと思うのですが。
ちなみに、ヨーロッパでは14世紀半ばから大砲は改良されなが
ら、攻城戦で使用されていました。
投稿: CIC担当 | 2009年5月30日 (土) 17時51分
CIC担当殿、コメント三顧感謝です!!!
>武人以外の面は、他の三国志関連の作品では、ほとんど書かれていないんですよね…。
横山三国志で詩人と孟徳新書という形で描かれていましたよ。それと『接要』ですが現存していません。これは曹操が諸兵法の概略を纏めたものとされています。原作「蒼天航路」で曹操がカコウエンとの話で自分が書いた兵法書の話が出てきますが、おそらくこれは「接要」の話だと思われます。
>今回の話を見て再び考えたのですが、日本では攻城兵器はあまり使用されていないですよね。
ああ、そう言われると確かに。。。
大砲は確か九州で使われた歴史があると記憶しているのですがどうだったかな? しかし、日本は改良の得手ですが新兵器や新しい発想を生み出して採用するのは、既に顕れていますね。
投稿: 五遷・主簿 | 2009年5月31日 (日) 02時16分
>大砲は確か九州で使われた歴史がある
攻城兵器ではありませんが、九州の戦国大名大友宗麟が島津氏と
の戦いでの篭戦戦で使っていた記録があったはずです。
ちなみに日本で攻城兵器として使用されたのは、大阪冬の陣です
ね。
投稿: CIC担当 | 2009年5月31日 (日) 11時12分
CIC担当殿、コメント千秋万歳!! ああ九州で矢張りありましたか。知識確認できて感謝です。
投稿: 五遷・主簿 | 2009年6月 1日 (月) 20時43分
こんばんわ。張奐殿の死は凄く心に残ります。
>>彼は他にも『接要』なる兵書を書いています。また、歩兵の戦いについても書いていて、呪術と戦術を切り離した最初の人だとさえの評価もあるほどです。
『接要』は初めて知りました。逆に言えば、それまでには呪術と戦術をごっちゃにして考えていたということですね。
>>横山三国志で詩人と孟徳新書という形で描かれていましたよ。
思い出しました。馬鹿にされて横山三国志では不遇な扱いを受けていましたね。
投稿: 闇太郎 | 2009年6月 1日 (月) 21時15分
闇太郎殿、コメント万歳です!!
>『接要』は初めて知りました。
私も文献で知ったので内容は知りません。曹操が学問好きで特に兵書に関心があるのは間違いない。諸葛亮も兵書がありますが、これは後世の作といわれています。
>馬鹿にされて横山三国志では不遇な扱いを受けていましたね。
主人公が劉備でしたから
でも関羽を見送ったシーンは特に印象に残っています。今の漫画と比べてこの頃の漫画には悪役もそれなりに魅力あるキャラクターとして描かれていました。ヘタレでは絶対になかった!!!
投稿: 五遷・主簿 | 2009年6月 2日 (火) 06時45分