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秦戦紀

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2018年11月23日 (金)

鑑葉

大河ドラマの感想は来週まとめて書く。一応視聴はした。 視聴して思ったのは

 

 やはり黒船効果は明治であっても絶大であったと感じる。 大久保の掲げる近代化が黒船トラウマの攘夷運動の衝動と同じく思えるからだ。たとえその国家戦略が正しくとも。

 

 

 大久保だけでなく幕末明治の志士達は投影者たちではなかったか。寧ろ西郷さんは穏健派保守系というよりも黒船トラウマ投影から克服している人物では無かったかと思える。

 

 幕末明治の日本に不幸なことは政権者層が武士であったことなのではないかと閃く。武家の教養と文化が日本国内で固定化されていたのが問題なのでは無いか。徳川家忠義による朱子学主流、西洋異学の禁がヨーロッパの貴族と異なる点だと考える。
 武士階級による文化教養思想が成熟してこなかった。成熟してたのは寧ろ庶民であったのではないか。 武士こと武家は外敵を追い払うほどの強さを有するのが存在意義であった。それがあってこそ武士であり、武器を使うことが許された。

 

 しかし、黒船到来によって日本武士の存在価値が崩れた! 黒船こと西洋諸国の圧倒的な武力と科学力と国力は武家政権たる徳川幕府を弱体化させ、日本の武士達に即時攘夷を諦めさせ開国に路線変更を余儀なくされた。
 だがそれは自分たちの無意識への劣等感をも強烈に育てていたのだと思う。武士でありながら己の力で抵抗できない敗北感屈辱感と共に。攘夷は寧ろ己の力で戦えない武士達の無意識の投影では無いだろうか。
 そのような力を持ちたいのに持てない、何故夷狄にとの鎖国による外国人への差別意識はそれを更に駆り立てていたのではないか。攘夷とは外国人に対してでは無く、無力な自分たちの像に無意識への反抗だ。

 

 そして、それは明治になっても多くの武士達は無意識にしまい込まれて克服できていなかった。それが暴かれたのはよりにもよっての遣欧使節団達メンバーであった。

 

日本人として哲学せずに誇りを持てなかった彼らの精神的未成熟(自立心)では欧米諸国の国力に圧倒されるだけになった。不平等条約改正もできない無残な結果も手伝い、無意識の劣等感として攘夷精神が蘇ったのだ。その劣等感と切迫感により強引な富国強兵策が出てきたのでは無いか。幕末の攘夷を大攘夷として開国の方便としたように、今度は富国強兵策という無意識への克服方便として

 

皮肉にも遣欧使節団に入れなかった西郷たちこそが無意識と無縁でいられ、それこそが留守政府が少しずつだが新政府の富国策を進めてこれたなによりの理由かも知れない。

 

 

 

( ´・ω・`)富国強兵を唄うならば大久保は絶対に西郷を帰すべきではなかった。プロシアでも富国強兵によって統一ドイツを造ったが、富国のビスマルクは知っていても強兵に有能な軍人モルトケがいたのは知らなかったのだろう。 

 

 山縣の位置にモルトケがいそうな気もしないでは無い。だがプロシアは小国時代からフリードリヒ大王以来の伝統で王こそが軍のカリスマであった。ならばこそ余計に明治日本で士族達のカリスマ的存在たる西郷を富国強兵策において捨てるべきでは無かった!

 

更に言うならプロシア型の富国強兵策は先に強兵、後に富国であった。プロシアのドイツ再占領による領土拡張で富国がうまくいくようになっていた。前回の西郷さんが日本とプロシアは違うの発言は富国強兵案であっても間違っていなかった。

 

 劣等感は無意識を反映している。それは怒りが力の源にもなるのと同義である。 己の弱さと限界を鑑みて、そこからできることを考えることが本来の戦略思考の始まりなのである。

 

 最後に秦の歴史を紐解こう。未だ戦国時代で中程度の強さしか無かった秦国の話である。

 

 秦国は孝公が君主となった時に覇者の栄光を取り戻そうと弱体化していた秦を豊かにできる者は莫大な地位と報償を与える求才令を布告した。その布告により諸外国から有能な人材がはせ参じ、その中に後の商君がいた。

 

 商君は三度の取り次ぎにより孝公と対話して採用される。一度目は三皇五帝、二度目は文王の王道、三度目は一代による覇業を説き、孝公は三度目で採用された。しかし、商君は孝公様の徳と政治が一度目を目指していないことを悲しく思った。後に商君は宰相にまで登り変法の開祖になった。

 

 劣等感を克服するのは王道しかない。王道とは地に足を着けて立つ道のことである。短期による成功を望むなら達成しても劣等感たる無意識は残る。それが人の業を加速させて不幸を招く元になるのだ。 人は地に脚をついて立つ。その脚で地面を蹴って初めて飛べるのである。

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