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秦戦紀

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2019年12月29日 (日)

史務庫年

歴史に親しむべし

 やる夫スレで三国志、八王の乱について学ぶ。 ;司馬亮 駑馬とはいわぬが鹿豕だ。勇武は麃麃。八王の乱の源にして元凶は司馬炎以外にあり得ない。そもそも王朝の乗り手が変わってたった一回の事変でぼろになるとはどう考えてもいかない。これは王朝の土台作りを為してこない創業者の罪と言わずして何というか。公卿はシカト決め込み、忠義に駆け付ける文官は無し。王室の危機に際して知らぬ存ぜぬする世情。こんなポンコツ統一王朝は初めて見た!! 八王の乱の展開を見るとどうも呉王朝の退廃を思わずにいられない。 あれも孫権がおかしくなり、全皇太后が、外戚王子陪臣が争い国力を削りまくっていた。司馬炎は孫権と同等の器量であって、曹操劉備に及ばない。司馬炎は孫権であり彼ににおもねる臣下は劉放・孫資であり荀昴、楊済がそれに当たる。 仁義寛容はあるにはよいが、それが筋を通していないと個人の仁義に左右されてしまう。個人の仁義とはカリスマであって情に揺れ動く危ういものである。上に立つ者ほど優しさに筋が通らなければならないのである。王済の存在はやはり貴重であったかも知れない。その言動を許したのは他ならぬ司馬炎ではなかったか。孫皓を思い出す。

今にして分かるのは司馬懿と買充。司馬懿は政変であきらかに陳平の役をするつもりだったのだろう。だが司馬師はもめごとつきあいを嫌って皇室にまで手を出した。そして、司馬昭が買充に委託したのは皇室殺しまで手を染めた以上は士大夫のつながりよりも皇室を重んじざるを得ない人間(忠義にできる)だったからだろう。 ようするに武田信玄が司馬炎〔豪族に奉戴されやすい〕で武田勝頼が恵帝だったということか。

戦犯を他に捜すとするならフウチンだろう。三国が鼎立できたのは地政学であるがそれ以上に若き才能寒門からの異能が活躍できたことが大きい。司馬懿は鄧乂を発掘し、司馬兄弟は鐘会を活躍させて力をつけてきた。しかるに張華を左遷して若き人材の芽を潰してしまう。それ故に人材の新陳代謝ができずに王朝運営が狂ってしまった。言うなれば晋王朝とは老成国家であった。

そういえば生きているものにはなんとか出来るが死んでいるものにはどうすることもできない。司馬懿が諸葛亮の最後の戦いで言った台詞だが、これがものの見事に息子達に反映されている。政敵を倒した後の寛容さにおいても。もしかすると司馬懿親子が晋建国であるなら後を考えて頑丈にしなかったのは司馬昭の責任は一端あるかもしれない。司馬炎はあきらかに祖父父の術はなかったのだから。

地政学から三国志をみると日本戦国時代の武田が参考になると思う。

中国を海から攻めるならば南から攻めるのが良い。但し、市場から攻めるには・・・半島から攻めるのもルートである。インドを征服したからイギリスは江南から攻めた。紅茶貿易戦争であって植民地戦争ではない。アメリカは中国市場を自由市場に放ちたくば半島市場を先ずは解放するしかない。そのためには朝鮮半島を力でねじふせるしかないかもしれない。

公に責任を果たす者がいなければ八王の乱の如く私心で人の進退を害する者共が世にはこびるとよく分かった。

✒1108

司馬懿は張華。陳平が長生きしたらどうなるかよくわかる周勃が長生きできたから漢王朝は延命できたのさ。帝をないがしろにして力を振るえば帝の力が脆弱になるだけ。これが諸葛亮だっから政変後に安定させたら身を退いただろう。申包胥、鮑叔の徳を知っているから。

忠義忠臣なき晋王朝。臣下も後任を勧めず善を進めることを殆どせず。例外は羊故だけ。顕名保身というのを何より重んじる豪族勢家。楊駿、司馬一族で相手にされてないのに楊一族と仕事した張華が諫言したら司馬一族に恨まれるだけ。曹爽相手でも雌伏した司馬懿なのだから寒門の張華ならば意見をうかつに出さないのが当然だ。 漢王朝でも殺害事件勃発しても漢帝を廃さなかった曹操に対して一度で魏帝を廃する司馬師は狭量というしかない。自分の申し出を拒絶しつづけては高貴郷侯がキレるのは当然だ。

蒋琬は軍略ならば諸葛亮より柔軟性があると思う。荊州北部を取って領すればかつての二正面作戦の足がかりになるし、取っても直ぐに撤退できるヒットアンドアウェイのようにできればそれも良しと考えていたのではないか。過去、劉備が漢中制覇にまで小競り合いを繰り返して魏軍を疲弊させたようにやろうと思っていたかも知れない。

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