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秦戦紀

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     歴史大作漫画「キングダム」全感想記事を戦争毎にまとめた目次録。リンクを張る場合はコメント欄に一言あるように。
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2020年8月15日 (土)

山の竜と虎:後書

日本で地政学を最も活発に展開した時代は戦国時代でしょう。

 《 戦国大名地政学理解度 》

  • :数多。。。
  • 織田信長 豊臣秀吉 伊達政宗
  • 織田信長 北条氏綱 武田勝頼? 豊臣秀吉

 海運、貿易に着目している戦国大名は織田、豊臣、伊達くらいかなって思う。 北陸、東北以北の諸大名はあんまり詳しくないので分からない。

 陸に関しては領土の奪い合いなので自然と身につけるでしょうね(笑)。

 

 

 海運で一番学べた(筈)のは豊臣秀吉でしょう。なにせ天下人として日本国の貿易、対外戦争として半島に渡海したのは彼だけです。
 しかしながら、彼には時間がなさ過ぎた。海洋国家としての日本の戦略線を考えるには時間が足りなさすぎました。後の天下人・徳川家康は徳川家安泰戦略ですので海洋国家戦略とは真逆になります。

 海洋国家戦略の構築を模索していたのはやはり平安時代の平清盛以来になる織田信長でしょう。海洋国家戦略で必要な頭脳は価値観の多様性であります。柔軟性の源といってもいい。 この点がおそらくは豊臣秀吉に欠けていたと思ってます。

 後年、伊達政宗が海洋の重要性に気づきますが時既に遅しでした。海洋国家としての日本の戦略を省みられるのは明治まで下ることになりました。

 今川義元は駿河の戦国大名でしたがどうにも海運水運の重要性には余り理解を示さなかった。むしろ江尻城を築かせた武田信玄の方が関心を示したかも知れません。

     

 河川水運に注目していたのはこれまた織田信長、豊臣秀吉。ですが、おそらくは北条氏綱も水運の重要性を知るのは2人の天下人に勝るとも劣らないとうしつぎは思ってます。

 理由は彼が武蔵に伊勢(北条家)勢力を伸ばそうとしたからです。この動きは明らかに信長の美濃攻略ルートと同じ兆候です。

 信長も美濃に進出することで平原を手に入れようと謀りますが、木曽川長良川の水運にも目をつけていたでしょう。それは武蔵を望んだ氏綱も江戸川、利根川の水運にも気づかないはずはない。 関東平野から伊豆、江戸湾に注いでくる数多の河川に。

 それに関東平野の真ん中に位置する武蔵は文字通り関東の中心に位置する要所です。中国にとっての荊州(湖北省)です。

 ⛵その証左として北条家は最終的に武蔵の行田、羽生にまで勢力を拡大させています。ここは利根川の水運が通ってます。北条家発展の礎は間違いなく氏綱が築いたのです。故に息子・氏康で関東はほぼ北条家が斬り従えました。

 武田勝頼も韮崎に新府城を気づいて水運の重要性に気づいていた可能性がありますが、時既に遅しでした。

 

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