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秦戦紀

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2020年8月15日 (土)

山の竜と虎:蜀漢甲斐分析㈣

武田の戦略とは

 

 武田の場合はどうか?

 

 武田の戦略はおそらく信虎が最初であろう。信虎も信濃に兵を進めたり、鉱山開発にも着手している。ただ、甲斐の豪族達から疎まれ始めたために息子の晴信を担がれ、遂に追い出されてしまう。

 だが甲斐国は結局は信虎の戦略で生き残るしかなかった。信虎の子・晴信は武略でなく政略で信濃を切り崩していく。相模北条、駿河今川と同盟を結んで信濃に向かう。正に遠交近攻である。

 信濃防衛戦で越後上杉と戦うが疲弊する。しかも甲斐信濃は海がなく河川も暴れ川であり流通が発達しなかった。商業振興も畿内濃尾よりもうまくいかず、頼りは土地からの上がりである。 上がりとは米・麦の租税、鉱山からの碁石金になる。

             

 だがあぶく銭による経済は民を安定させないのがうしつぎ地政学の理である。

 甲斐信濃で領土が固定化しつつある武田は頭打ちになりつつあった。これは蜀の荊州失陥による辺境孤立化と同じである。そのために信玄はどうするのか?

   

 海に出る。ランドパワーが海、平原にでることで国家経済を活性化させ、生存圏拡大に出るのは地政学で立証される歴史的理である。

 信玄は駿河今川家が義元戦死により弱体化するのを見て、甲斐の生存圏拡大のために同盟国である駿河に侵攻した。同盟破棄にキレた北条家が塩止めで経済封鎖に出るが、武田は駿河領有に踏み切って海と平原(三河尾張)へのルートを掴む。後顧の憂いを立つために北条領土を攻めるのも忘れずに。

 領土領海侵犯とは地政学から発症するものであり、それが国民に一番理解されやすいものになる。戦争とは軍人ではなく心の抑圧に押された政治から発生していく。

 カピトリーノの丘に巣くっていた都市国家ローマがデベレ川河畔の平野を手に入れたら、領土拡大に邁進していった。このようにハートランド、ランドパワーの平原ルート確保はロシアのクリミア半島領有でも分かるようによくおこる勢いである。

 

 地政学の勢いに従い、武田は三河尾張を目指した。天下を取るために京に攻め上がるというが三河を完全平定できない限り兵站が続かないので上洛作戦は無理であろう。やはり三河尾張制圧ルートによる武田ハートランド強大化作戦である。

 しかし、地政学の理に沿って領土拡大に奔走したがやはり甲斐からでは拡大戦域は限界であった。また信玄の寿命も限界に来ていた。信玄が病死してしまうと、延びきった戦線を維持できない武田は疲弊していく。 やがて長篠の戦いで人的被害がピークに達してしまう。これは蜀では段谷の戦いに酷似している。

 

 その後、武田は韮崎に新府城を築城して防衛戦を前に出す。蜀の姜伊と正反対であるがこれが命取りになった。

 なにせ武士とは一所懸命が源である。本国甲斐を守らずに外に出てしまうのは土地を守らない愚挙と映る。しかも、鎌倉武士の気風が濃厚にある保守的武士気質である甲斐の武士達に行ったので彼らに更に不満が募る。信長ならば分かるが・・・。 いかに優れた政策であろうと地元民に足を着けなければ成功しないのである。

 内部工作から織田徳川は遂に木曽を味方にすることに成功する。信濃の喉元に匕首を入れられた武田は戦線を維持できない。織田、徳川、北条による外線作戦は内部からも切り崩していく。 穴山梅雪、小山田まで裏切られた武田は孤立して遂に滅亡した。

    

 風林火山は信玄の軍旗にして「孫子」の引用でもある。だがしかし、「孫子」は"彼を知り、己を知れば百戦して危うからず”とある。蜀の姜伊は戦線を後退し、武田勝頼は戦線を前に出したがいずれも滅亡した。

 相手に勝つためには相手を知るのは当然である。それ以上に己の持つ長所と短所を知り、それを活かすことが生存の策である。

 

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