桶狭間戦記‐最終章‐第7・8話〔改訂版〕
- 分岐点
- 大高道
大軍が寡兵に敗れるとはどういうことなのかの第一段階
桶狭間戦記‐最終章‐第7話
丸根・鷲津砦が陥落する。熱田にて信長は両砦陥落の煙をみる。馬廻りからの報告で伊勢湾にも今川方の海賊・服部左京進友貞の船団がいて、海からも今川の手が伸びている。
此処にいたって織田軍は上道を進む以外に道はなかった。熱田からの馬廻り・千秋はそれは義元がわざと残しているのではと口にするが、信長は構わずに進む。わざと誘いを残す手口に信長はある戦場を思い出す。
小豆坂の奇襲。太原雪斎に見破られたお父(信秀)と同じだ。しかし、ワシゃあ惚れたらとことん偏狂でや、直馬で探った彼の地に行けばおんしに勝てる。
信長が汗馬にて各砦の連絡係を軍中から選ぼうとする。早速に新助と名乗る若者が志願した。馬廻りの者達にも彼は顔なじみだった。もしや毛利家の新助良晴殿ではないかと千秋が聞いてみると、果たしてその通りだった。若気の至りで逐電し、堀田家で下人をしていたと素性を語り、馬に乗って連絡係を務める。 ※熱田神宮に安堵状を発給するほど毛利家は名家だった。
信長の進路:熱田―笠寺―丹下砦。
(´Д`;≡;´Д`)アワアワ その信長を待ち構えるのは、熱田東南の鳴海城城主・岡部五郎兵衛元信であった。 岡部が信長が熱田から上道を進んだとの報告を聞く。小豆坂合戦で入馬して敵を突き崩した剛の者であった。義元公より香の物一切れ差し入れられたと部下に話す。 岡部は一切れは人を斬れの意で懐に誘い込んで信長を討つのだと香の物をたいらげて兜の尾を締める。
岡部は鳴海城の高いところに上がり、織田軍をみる。丹下砦に来たら次は必ず善照寺砦に行くと断言する。部下は何故と問いかける。岡部は敵になったつもりで戦うべしとの義元の言葉を引き合いに出し、理由を語る。
善照寺砦は鳴海の城と同じ尾根づたいにして高所にある。ならば裏は見えず、信長が身を隠して進むには好都合だと。
しかし、所詮は掌の上であり信長が砦を下る時我等が奴を捕捉する。そして、今川全部隊で包囲するのが義元公の狙いだと岡部は信長の動きを見ながらほくそえむ。
信長は善照寺砦に入る。義元、岡部の作戦通りであろうとも信長には領内でしか知りえない長所もあった。
永禄三年五月十九日午前十時、丹下砦の兵343に善照寺砦の兵450も加えた信長軍は3000に膨れあがり善照寺砦に入る。この砦が唯一、今川軍の全てを見渡せるのであった。
桶狭間戦記‐最終章‐第8話。
大高道入り口まで来た義元本隊。そこで丸根、鷲津砦が陥落したと義元が吉報を受け取る。本陣が沸く。しかし、信長が清洲城を出たの報に彼の者は一線を望むかと唸る。
引き続きの報告に丹下砦を出た信長の消息が不明と聞くが、義元は善照寺砦にいると看破する。旗本達が何故と聞き、義元は詳細は雪斎にと口にしたが慌てて止める。周りに能者がいないので義元が直ぐに分かると答える。⇒朝比奈、松井と松平も能者ランクでしたか、よかった。
義元は信長には鳴海城の岡部五郎兵衛元信、雪斎の作戦を遂行した将が当たると皆に教える。大高城に入る頃には信長軍の首が続々と届けられようと諸将に告げる。
善照寺砦の織田軍では…、
軍議を重ねていた。一隊ずつしらみ潰すか、支城をひとつすつ取り返すかが大半を占める。その中、信長は義元が大高道に入る前に奇襲すると決断する。 旗本達が本隊に勝てるのか?義元が来る前に窮地になるんでは?狙う敵が義元本隊なのかの確証があるかと旗本達が不安がる。 信長は義元は我の奇襲すら読む、然らば奇襲を読んだならそれが義元本隊だと信長は読む。
早速に信長は奇襲部隊を選ぶ。千秋以下熱田の兵達が志願する。
「死したときは我を恨め。此度の奇襲失策せば我の死も確定する。貴殿の恨み、あの世で引き受けよう。」
千秋ら奇襲部隊に信長が手向ける。
奇襲部隊が善照寺砦から出る。旗指物を捨て、義元以外の将には我等の消息を知られておらぬと身を隠して大高道へ進む。
( ̄○ ̄;)! しかし、岡部に見つかった。。。
桶狭間実戦編が始まりマシた!!!
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