桶狭間戦記‐最終章‐第9・10話。唐鏡の曇り〔改訂版〕
名人ミスすれば、戦場の勝利遠のく。
- 最悪のとき
- 運命の地
#9
アワ((゚゚дд゚゚ ))ワワ!!織田軍の奇襲先遣隊が今川軍に見つかった! 砦の物見がそれに気づき、太鼓を鳴らす。太鼓の音で気づいた信長は…、
(。>0<。)先遣隊が横槍を受けたのを見てしまった。千秋ら三百人が岡部五郎兵衛に悉くやられ、首までとられる。義元、雪斎の他に奇襲を見抜く今川軍の武将がいる、先遣隊が全滅する様を見ながら信長は奇襲が容易ではないことを思い知らされるのだった。
片膝を付く信長。落胆する信長に馬廻りの服部たちが励ます。商いの鉄則は物が余っているときは買い時、ナイ時が売り時、最悪の時こそが最大の好機なんだと信長を慰め、今こそ前に出ようやと出撃を勧める。
非道で上等、おぬしだからいいんじゃと馬廻り達が一斉に信長の出馬を後押しする。悲しさで膝を突いていた信長がゆっくりと動く。
千秋らが討ち死にした戦場に土下座した後、兜をつけて前に出るのでした。
#10
今川義元は尾張侵攻に先立ち掟書きを定めている。その中に乱暴狼藉の禁止があり、飢饉のこの時代でも尚、略奪によらぬ合戦をめざしていたのだった。
輿で大高道を進む義元本隊。正午近くの途上で義元本隊は岡部隊が小田の先発隊に勝利したと捷報を受ける。本隊が沸く中、義元は討ち取った敵を問う。 使者が熱田神宮宮司家の千秋がいたと伝えると、義元は望外也と喜ぶ。
義元の喜びに本隊は殿の矛先には天魔鬼神も忍るべからずと士気が上がる。これで織田は退き、大高城にいけると本隊が皆で言い合うのだった。
しかし、義元は熱田に向い、千秋の首を見せて宮司達をこちらに落とすと言い出す。 進軍を急がせる義元。兵糧の余裕ガあるうちに尾張へ侵攻するために。戦勝気分の足軽達が乱暴狼藉するのを防ぐためでもあった。
突如の針路変更に困惑する本隊は飢饉の折節だから略奪狼藉致し方ないという者、新田義貞の青田狩り放任の例を出す者もいた。しかし、義元はならんと言って、それらを全て一蹴する。
義元「民に光を与えなば、何故唐鏡は我を産み落とした。」
⇒ かっこよすぎるぜ義元様! ( #` ¬´#)代表選挙で争う人達にこういう心栄えがある?? 本隊の皆も義元に敬服するのだった。
義元は、大高道ではなく鳴海道を何故か進んでいた? 鳴海道は大高道より鳴海に近いが最短ではないのに? 類推すると大高道にゆるゆる進んでいて、戦況に合わせて針路変更をしたのではなかったかby漫画家。
⇒ (;´▽`A``でもどう考えてもなぁ、これはやはり・・・。
義元本隊は鳴海道途上、点在している沼を見る。部下が田楽坪と言うと、義元は信長の奇襲の足音が聞えるんだがなぁと嘯く。側にいる兵がちょっとどよめく。 しかし、義元は信長が横槍に来ても岡部が信長の背後に回りこむので、全軍包囲できるのだと必勝の戦術を確認する。 義元はそれでもなお信長は奇襲するだろう、この時のために桃厳信秀は信長をうみだしたのだからと。
正午になる。進みゆく義元の目の前に山が見える。義元は山に陣を張ることに決める。部下も賛成で、敵方の善照寺砦まで見渡せるかもと言う。山に登った義元は絶景だと見晴らしがいいことに喜ぶ。部下に山の名を聞いてこさせる。
部下が戻ってきて義元に伝える。桶狭間山だと。
(@Д@;義元の誤りだとしかおもえない、鳴海道進路変更は! 軍隊の敵は敵軍!! 熱田を落とすため動いている信長軍を叩かずに地域占領するのは戦理に背いている。地域や首都を占拠するだけで戦争が完了することはありえない。イラク戦争でも敵軍崩壊させなければバグダッド占領しても当時のイラク政権下の軍隊は抵抗をやめなかったではないか。 信長軍を撃破すれば尾張侵攻など思いのまま。領土拡張の戦争であっても抵抗勢力をきちんと撃破しなければ獲得した領土を維持できないのだ。
追記:歴史は深く堪能すべし。
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