キングダムを愛せる者は半沢直樹の最終回も全て納得できなければならない。
人気ドラマ『半沢直樹』を最後まで視聴した。
復讐という(私)の戦に勝ち、銀行員という(公)の戦にも業績(武功)を挙げた半沢さん見事!!
頭取の人事には『キングダム』を愛読する者として喝采を挙げたい!
(・_・)これのどこにも文句をつけようと言うのか....?
(;-ω-)ノあえて言おう!頭取の人事に不満があるなら『キングダム』への愛が浅い証である。
以下、理由
頭取の人事の不満は業績のあった半沢を出向、大和田の処置が甘い、近藤さんが本行に残ったことだと思う。 才能ある者が昇進し、内部の仕事に偏重と支障をきたす者を排除するのが至当という考えはもっともである。
『キングダム』においても下僕だった信が武功を挙げて昇進していくし、悪大臣の竭氏などは排除されてしかるべきである。国、組織の仕事は速やかに裁かれ、需要供給双方の恵みは切磋琢磨され幸福になるのは最善であろう。
なればこそ頭取の人事は組織の仕事が幸福を目指すのであり、そのための人物を育て配置するためであるならばもっともと言うしかないのである。
『キングダム』を例にとって説きます。
あくどいことが深刻な害になるのに、その犯行者は無力の下っ端であるはずがない。竭氏にしかり成蟜にしかりである。悪が害となるのはそれを使う者に力があるのは当然である。では、力は罪なのか?
無論、否である。力が無ければ悪も退治できない。無力であるならば政は成蟜に殺されていたのだから。 では、悪は全て罪なのか?
未だ、否である。 悪が全て罪だとするなら呂不韋の功績は悉く罪となってしまう。大王様に牙むいている呂不韋だがその陣営は秦国の運営を全うに機能させているからだ。 蒙武、昌平君、李斯、蔡択の働きがどれ一つ欠けても合従軍は撃退できなかった。
さらに言えば呂氏四柱は李斯を除き(アニメの場合だが)、信の武を評価している。似たように大和田も半沢の力を認めている。(但し、キングダムの方がさわやかではあるが)
力も悪も罪でないとするならば、社会組織の善とは如何?
悪を倒すのが善の力なら、善を振るう力の持ち主も善とならねばならない。『キングダム』の大王様のように人を見抜き、人の力を使うのが善であることである。それは、『キングダム』の大王様も是とするなら、半沢直樹の頭取の人事が是となること。すなわち、半沢直樹は呂不韋になってはならないのである。
『キングダム』の大王様の人事は才能重視であっても広範である。下僕であれば使い、山の民であろうとも使う。恩讐あろうが使う。信にとっては友の仇であったし、山の民にとっても使う。非力な蕞の民であっても使う。 呂不韋も才能があれば使うことにためらいはないが、大王様ほどの広い世界はない。
うしつぎが見た半沢直樹とは呂不韋に近い本物でした。 実力あります、人も使えます、組織の動きも滞らせません、更には呂不韋に無い人の痛みも分かる正義もありますと。好漢であるのだが呂不韋と離せないのは自分が激しすぎて次の余波を思わない点でした。
人並みに言えば過度に過ぎるとか、和を乱すともいえる。自分に自信があること、正義を信じることは長所である。しかし、それを過度に推し進めれば『キングダム』の呂不韋になる。その果てに行きつくものは自分を信じる人達だけで突っ走る下剋上となる。上が腐りきっているならそれも有りかもしれないが…。
頭取はも半沢直樹のためもあってあの人事であろうと、うしつぎは思う。見えていないものを倍にして取り戻して来いと。
(◎´∀`)ノ要するに、大王様流に言うとこうなる。
半沢直樹よ、才は高いがまだ足りぬ。まだ狭い。
復讐に正義の剣を使えば怨嗟の渦で組織も滅ぶ。
人を活かす道を拓くために正義の剣を振るうべきだ。
報恨を抱いたまま正義の剣で人を辱めれば余計な恨みを買うだけだ。その血塗られた剣を持ったままで人を遇しても公正を感じない。 周囲が公正を感じなければ恩を施しても猜疑が産まれ、信を得られない。自派を固めると受け取られる。呂不韋、大和田を笑えなくなろう。
だから、半沢よ。お前が近藤さんを気にして待遇アップを推挙しようとも、やはり今回の本行に残れたのは頭取の人事でなければならなかった。その理由に気づいてなかったからこそ組織への功績大となろうとも、お前は気付いていない点の差し引きで出向の形になっているのだ。
仇であろうとも真人(政)は下僕の信や山の民を秦国に抜擢した。 才能があれば身分に関係ない。しかし、才能がなかろうとも人は活かして使える。非力であろうとも蕞の民を使ったように。 全ての生命は活きれば力も成長する。人もまた然り。
善とは生きることであり、健やかな成長の促進である。すなわち善の力とは正しく生(活)きる和の結集であるのだ。
優れた包丁使いは素材を活かす。名刀の使い手はぼんくらでは余計な痛みを生む。必要以上の屈辱は恨みを買う。
恨みを与える人間に善の力は膨らまない。公式の面々の中であれは過ぎている。和を乱せば公正を欠く。 公正を欠く者が恩を施しても周りは独善と視るだろう。
人を活かす仕事をするなら勝った後も考える。
頭冷やせ。 頭取の人事はそれだ。
以上、『キングダム』大好きで浅学不肖のうしつぎによる半沢直樹の最終話感想でした。
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