「蒼天航路」
永遠②。ならばよし!
親が子供をしっかりと育てないのは、世界を滅ぼしている原因をつくっていると三国志から学びましょう!!
内容は
一. 曹操の血統と家族 二. 立派な親と馬鹿息子
一. 曹操の血統と家族
曹操の先祖は漢王朝の功臣・曹參(ソウシン)です。曹參は劉邦の下で戦場を戦い抜いた武将でした。項羽に勝利した劉邦は曹參を山東省の国・斉の宰相にします。漢王朝の武功第一の韓信が斉の王だったのですが、実力を恐れた劉邦は韓信を楚の王に配置換えした後に異腹の子を斉の王にしたのです。その上での人事なので曹參はかなり信頼されていました。 しかし、宰相ともなれば戦いよりも政治の頭。宰相の蕭何(劉邦に天下取らせた三傑の一人)を馬鹿にしていたほどだったので、まるで自信の無かった曹參はそのときになってから勉強するようになります。ようやく老子の教義が自分にあっていると分かり斉の国をうまく治めました。 そして、劉邦(高祖)が死に、蕭何も亡くなると2代皇帝に劉邦の子が即位して宰相には曹參が選ばれました。皇帝との関係は良好であって政治もうまく治めていました。武将としても政治家としても優れているのは、曹操もその血をもらっていたかもしれません。
ひとつ逸話を→《エピソードⅠ》 皇帝はひどく怒っていました。家臣達が事あるごとに父親と比較するのでいらだっていたのです。ついにとばっちりが曹參に向けられました。皇帝「汝は朕を軽く見るのか。」 曹參は冠を取って頭を下げます。曹參「お尋ねしますが、陛下は先帝と比べてどちらが上と思われますか?」皇帝「もとより朕など足元にも及ばぬ。」曹參「では前の宰相と今の宰相では?」皇帝「そなたのほうが下のようだ。」曹參「先帝は乱世を治め、相国(蕭何のこと)は法をつくり平和の世にしました。力の及ばない私達なのですから、その道を外さないことが大切ではないですか。」皇帝は自分の役割を知ったそうです。 何かを為すだけが政治ではなく、今の時代がどんな時代かを知ることだと曹參は分かっていたと言う話だそうです。 曹參は順調に宰相の任を全うして亡くなりました。 ちなみに曹參の戦友に夏候嬰がいますが、これは淳・淵の先祖です。
さて、曹操の家族を。まず、卞皇后。歌妓の出であるのは『蒼天航路』にもある通り。慎ましい性格の婦人で三人の息子(長子の丕は皇帝になる)を儲ける。
《エピソードⅡ》 夫の曹操から3種類の宝石を渡されます。「好きなのを取っていいよ。」卞は中くらいの品を取りました。曹操「何故、それにしたの?」卞「上等な品を選んだら贅沢だと思われるし、下の品を選んだらエエカッコしいと思われるから。」 《エピソードⅢ》 曹操は賈詡に敗れて息子と典韋らを失います。奥さんは怒って実家に帰ってしまう。曹操は実家にも足を運ぶが遂に奥さんは戻らなかった。離婚決定。卞は夫のいないときを見計らって女達で宴を開き、そこに奥さんを招く。離婚後の地位は正夫人なのに息子を失った奥さんを前の位置である正夫人の上座に座らせてあげたそうです。 《エピソードⅣ》 曹操の死後、曹丕は皇帝になる。皇帝の曹丕は建国の功臣・曹洪を重罪にしようとする(どうやら金銭問題が原因だったようです)。卞皇后はお父様が天下に覇を唱えたのは曹洪のおかげですよときつく迫ったので、曹丕は罪を一等減じた。
長子・曹丕。騎射が上手。弟の植ほど文才はないが、文学の評論『典論』を著す。魏王朝の初代皇帝。漢を滅ぼす。彼の治世に大尉(国務長官)には賈詡、相国(総理大臣)に華歆が任じられる。一族や親戚は疎んじ、植は侯爵に落として取り巻きは皆殺し。夏候一族にも実権は与えない。人材はうまく集めて、陳群の九品中正法を施行する。また、軍には曹操が疎んじた人たちも活用する。司馬仲達、朱霊、曹真、曹休、揚秋など。特に司馬仲達はむろんだが、朱霊には本人の望む土地を与えてしまうほどの贔屓にする。逆にいびり殺したのは于禁。 呉の捕虜から帰ってきた于禁に曹操の墓参りを勧めると、そこには于禁の降伏した絵が飾ってあり、それを見た于禁は発病してまもなく死亡する。 殺したのは他に正夫人の甄氏。戦争は下手で呉に親征しても敗退してしまう。 その代わりに政治は優れて曹操の反儒教を一掃して孔子の後継者を認めたり、大学を建て博士を置くことで世情の安定を図った。正史三国志も冷酷さを除けば聖君主の仲間入りもできたと言わしめたほど。残念ながら政治家としての力を見せることなく父親の死んだ年より10年早く寿命を迎えてしまう。
次男・彰。武勇に優れるが、曹操の死後は戦場への舞台はまるで無し。任城王として死ぬ。
三男・植。曹操の死後、長男の曹丕に疎まれる。侯爵に格下げられ、取り巻きは皆殺しにされてしまい、政治から完全に隔離された。『蒼天航路』にもあるが、兄・曹丕の正夫人甄氏にほれていたのは間違いない。夫の曹丕に甄氏が殺されてしまうと、甄氏の枕を譲り受けて弔いながら名詩『洛神の賦』を作った。『洛神の賦』は素晴らしく、女性の姿かたちを言葉で妖艶に歌っている。→アニメの萌だけでなく詩からも萌が…。 詩人として名作を残して生涯を終える。
沖。曹操が最も期待した子。正史では部下の情け深さと、船に乗っている象の体重の量り方を紹介している。相当にできた子だったらしく、早くに死んでしまうと曹操は丕に沖が死んだのはお前の幸運だといったという。
叡(曹丕と甄氏の子)。魏王朝第2代皇帝。軍才はどうやら曹操譲りだったらしく、諸葛亮の北伐、孫呉の攻撃にも見事に対処する。子供の時には優しい性格らしく、狩のときに父親(曹丕)と親子鹿を射た時に小鹿を哀れんで討たなかった。父親は討たない理由を聞くと、母鹿を討ったからという。素質は天才肌で、あの劉皣が始皇帝と漢の武帝に少し劣りぐらいと言わしめる。しかし、浪費癖があったためか蜀と呉への戦争があったにもかかわらず、宮殿をいくつも建てたりと財政が逼迫してしまう。後年、遼東の公孫氏が反乱を起こしたりして政治家としての国家運営をおろそかにしたまま幼年の跡継ぎを遺して亡くなる。
二. 立派な親と馬鹿息子
●劉備と劉禅 :蜀2代の栄華。息子は劉備亡き後も諸葛亮やそのあとを継いだ宰相たちや家来のおかげで持っていたが、遂に緩みができ宦官の黄皓を寵愛して蜀を滅ぼす。 ●賈逵と賈充 :『蒼天航路』にいた馬超との戦いで瘤のある武将。弘農太守代行を務めた後、次第に昇進する。行政だけでなく孫呉の猛攻で曹休が絶体絶命のピンチに駆けつけ、命を救ったりもする。魏王朝で重きをなした親父。息子・充は魏に尽くすどころか、魏王朝を乗っ取ろうとする司馬仲達の息子達に加担して遂に魏王朝を倒してしまう。新しい王朝でもまんまと重臣の位置を占め、2代皇帝の正夫人は賈充の娘。
しかも、この賈充の娘は出来の悪い息子に入れ知恵をして夫である皇帝をだましてまんまと息子を後継者の地位を不動にしてしまった。そして、息子が皇帝になると、《エピソードⅢ》 民衆は米がなくて飢えに苦しんでいると重臣から聞いた皇帝は一言。
「はて、馬鹿な奴らだ。米がないなら何故肉を食べないのだ。」→マリーアントワネットよ。古代に先客が既にいたのです。
当然、末路は殺されました。しかし、賈充の娘が出来の悪い息子のために一族を敵にまわして殺し合いをしていたため、王朝の力は衰退してしまい、やがて異民族の襲撃に王朝は息の根を止められてしまいました。異民族に征服されるという中国史でも最悪の結果をもたらしたのです。
●諸葛謹と諸葛恪 :『蒼天航路』では馬の顔をしていた諸葛謹。実際、長い顔をしていたらしい。「呉は虎を、蜀は龍を、魏は豹を得た。」といわれた諸葛一族は諸葛謹は漢の洛陽で学んだ秀才である。その学識と慎み深さを活かして孫呉で順調に出世して大将軍にまでなる。また、人を思いやる気遣いにより孫権から手打ちにされそうになった人たちをかばって助けることもしばしば。《虞翻→長江の船で劉備の蜀取りの手紙を呼んだ男。も諸葛謹に助けられている》 息子の恪は頭の回転が速い子であったらしく、その才能は孫権からも愛されて自分の息子の傳役にもさせていたほど。しかし、才気走ったところがあり人の気を遣わない性質のため、諸葛謹は一族を破滅させるのは恪かと言ったという。諸葛恪は孫権が愛した才能の通り、孫権や陸遜亡き呉国を支える将軍にまで成長します。魏の大軍にも勝利しますが、逆に北伐を敢行して敗れます。これを契機に急速に落ちた名声と威光を回復させるために強権政治を行ったために反対派のクーデターに敗れて一族が滅んでしまいました。
●鍾繇と鍾会 :鍾繇(ショウヨウ)は『蒼天航路』で馬超との戦いからよくでてきた。漫画では関中の豪族達とうまく折り合っていた行政手腕豊かな人物として描かれているが、正史では智謀の人物としても知られ、荀彧でさえ自分の智謀の後継者は荀攸と彼の名を挙げている。後になって魏諷と関係があったために魏諷がクーデターを図って曹丕に誅殺されると、連坐して官を免ぜられてしまいました。けれども、智謀優れていたために、賈詡の後を受けて大尉、大傅と栄達して魏王朝の重臣として重きをなしました。ちなみに三国時代の中で唯一人、書道史に名を残している達筆家です。 息子の鍾会は幼少のころから肝が太く利発な子供として記録されています。軍才も優れており、やがて司馬師・昭(仲達の息子)の軍師として寵愛されます。着実に出世街道まっしぐらでしたが、才があり過ぎたために最後は蜀を滅ぼしますが、よからぬ野心を抱いて司馬昭に逆らったため殺されてしまいました。 鍾会は蜀討伐の最中、軍令違反で許緒の息子を処刑しています。
これをみても、三国志では親が偉大でも息子の代であっけなく栄華が天下国家から家族まで崩壊しています。
蜀の諸葛亮でさえも息子は忠義を保ちましたが、魏の攻撃に耐える才能を持ち合わせていませんでした。 曹一族も血の繋がる者達を疎外したためにかえって血の絆という力を弱めた結果、実力ある勢力を追い出せませんでした。(曹丕の罪だと思われます。) 唯一のしっかりものの親子は陸遜と息子・抗(?)だけだと記憶しています。
これを我々にとって今でも教訓になります。子供に教育・育児をきちんとすることは大事です。なにせ今の日本は今までが通用しない乱世(三国時代)さながらです。
次回予告。私が三国志で一番嫌いな人物を一人だけ挙げろといわれれば迷わずこの男を挙げる。
孫権仲謀!!! 何故かは最終章で。 木曜日はとてもキツイので、土・日になります。
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