「蒼天航路」
永遠①。ならばよし!
注:この記事は先代ねねむ唐象が管理人だった時、「蒼天航路」完結の際に書かれたものです。
11年間にわたる正史「三国志」、曹操孟徳から描かれる三国志は、歴史好きの私にとっておおいに満足させるものでありました。 特に、最終回の曹操の死で完結させる形は程のよさで完璧なラストと言ってもいいでしょう。あれ以上の完結の仕方はどう考えても作品に似つかわしくないものとなったはず。
曹操孟徳。魏国の太祖武帝にして乱世の収束者。赤壁の大敗で中国統一は成らなかったけれども三国時代をリードしていたことは衆目一致するところです。百戦錬磨の武将でありながら、詩人でもあるこの人物は息子たち2人と共に三曹とよばれる古典詩人の大家としても有名。 政治家としても素晴らしいもので屯田制(曹操の場合は軍人が行う軍屯だったが)による国力の増進策、求賢令による能力主義の人材登用は画期的でありました。
しかし、彼の政策は彼独自のトップダウン方式であったためか、その後の魏王朝では廃れていきました。
特に求賢令は曹操の跡継ぎ・曹丕が漢のラストエンペラー献帝から皇帝の座を禅譲(実質は奪う)され魏王朝を立てると重臣の陳群による九品中正法により豪族の力、家柄に左右される人材登用法に戻ってしまいました。そのため、人材の固定化による貴族化が進み魏王朝は衰退していきます。
屯田制はその後も長く各王朝に受け継がれていき、北朝の魏国が均田制を始められても軍人の兵糧確保政策として明王朝の軍屯制度まで続けられました。
曹操の業績は文化から学芸、政治や軍事にまでそれまでの儒教の規制にとらわれない自由な流動性のある政治ですが、実はこれは全くのオリジナルではありません!曹操の伝記を正史三国志で読むと分かりますが、彼の政治学の発想はほとんどが古典から来ているのです!曹操は議郎という官職についていました。これは博学な知識を活かして政策立案に意見を述べるのが仕事であって、既に曹操は大変な勉強家であったことが伺えます。彼は特に「史記」を好んで活用したのではないかと思います。求賢令にもその跡がうかがえます。
また、後世に悪影響を与えた点もあります。彼の武将や軍団には張遼、烏桓の騎馬、龐悳、揚秋のような異民族の血が混じった者達も入っています。彼らの実力は素晴らしくそのため魏王朝は異民族を軍兵として採用するのですが、これが異民族の中で自分達の独立の覚醒になってしまいました。三国時代の後に晋(司馬仲達の孫・炎が立てた)王朝の内乱に乗じて周辺の異民族が進行する羽目になるのは彼らの実力の覚醒から来ているそうです。
曹操孟徳の三国志の評価はベタ褒めであり、超世の傑と同時代の世を越えた英雄と称えられていますが、時代の遥か先までいくようなビジョンの持ち主であったらしい。また、彼の業績で後世に称えられているのは孫子の兵法の注釈をなして現在まで読めるのは曹操孟徳のおかげということです。彼が生きているときにいい加減な注釈や雑文、偽者が混じったまがい物を編修して十三編にまとめたのが現在の孫子の兵法です。 はるか後世にナポレオンが自分の名はナポレオン法典を成したことで残ると名言しましたが、曹操も同様になっていた。(2人とも軍人にして政治家だった。)
最後に名残りある作品に私が学んだことの一つは、温故知新でした。
本当に優れた革命や斬新な発想には古典がバイブルになる、または古くから残っていたものは断じて無視できず別の形という精神で繋がれるべきなのだと学びました。曹操の革新的な政治や戦いが古典から学び取ったように・・・。
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