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本質を誤るな

キングダム第426話

#「人の本質」
 黙っている大王。呂不韋は足が痺れましたか、それとも己が描く道が誤りであるとようやく気付かれましたかなと問いかける。その大王に李斯、蔡択、太后も視線を移すがひとり瑠衣だけは誰にも見えていない、大王に寄り添う紫の光が気にかかる。 生気を取り戻した大王はまだ映る怨念を前にして…。

 お前の口にした為政は所詮“文官”の発想の域を出ないものだと呂不韋に切りかえす。切破しようとする大王に呂不韋だけでなく李斯らも驚く。何ですとと呂不韋もそのわけを問う。

 戦に向き合わぬお前の為政。いかに耳の響きのいい言葉を並べようと今の世の延長上にしかない。 
 一時和平協定の下、“富”で他国とつながろうと各国が力をつけきったところで再びより大きな戦争期間へと突入する。 
 五百年続いた戦争時代が結局のところそのまま続いていく

> (´~`)耳の響きのいい言葉とは言い過ぎかもしれませんが…、そうでしょうね。危機感だけが争いの卵ではないですからね。今の世の延長、すなわち歪みがあろうとも現状維持ということでしょうね。

手前勝手な「現実」という言葉で問題に蓋をするな
人の世をよりよい方向へ進めるのが為政者の…君主の役目ではないのか

> 大王様、手前勝手とは相当呂不韋の論がきつかったようで(汗)。 より良い方向について呂不韋が問うと、大王は戦国時代を終わらせることだと言う。 妄想の道だと呂不韋は断じる。

戦争は紛れもない人の本質の表れ。人の世の営みの一部。その否定は人の否定

 現実を受け入れて為政に挑まねば世は前進せぬと反論する。だが、大王は違うと言い切る。お前たちは人の“本質”を大きく見誤っていると明言する。 大王の言葉の意味が分からず、瑠衣や李斯だけでなく皆が聞き入る。

 たしかに人は欲望におぼれ、あざむき、憎悪し殺す。凶暴性も醜悪さも人の持つ側面だ。だが決して本質ではない。
 その見誤りから争いがなくならぬと思い込み、その中で最善を尽くそうとしているがそれは前進ではなく人へのあきらめだ

 そこに気付かぬが故にこの中華は五百年も戦争時代を続けていると。 人への問いに気付かされた大王の言葉に李斯、瑠衣、蔡択までも瞠目し動揺する。 面白いと大王の言葉の一理を認めた呂不韋。
 そこまでおっしゃるなら大王の言う人の“本質”とは何か、空虚な綺麗事でなく、あの邯鄲で正に人の闇に当てられた悲惨な経験を踏まえた言葉でお聞かせ願いたい。重ねて呂不韋が問い、太后も我が子の言葉を待つ。 その目に未だ消えぬ怨念の手たちが映る大王は冠と髪留めを外す。無論、俺の歩みはあそこから始まっていると己が素になって語ろうとする。

 リンク:邯鄲脱出時の記事(アニメ・連載)

なぜだ
なぜこの人は全く赤の他人の俺のために
一体なぜ―   

皆の視線が集まる中、大王が静かに言う。

人の持つ本質は―――光だ

 

(´;ω;`)ウウ・・・憎悪の中で見つけた人の生きる源。。。

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