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信と桓騎 

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信とお頭についてうしつぎが考察してみました。

一、信と桓騎は確かに似ている所がある。

  1. カリスマがある。
  2. 下賤の身分からのたたき上げ。

 1は当然至極であります。桓騎が自らの力で他の野党団を吸収合併して桓騎軍を形成していくように、信もまた飛信隊から郭備隊、麃公軍の隊を合わせ、自分一代から強さとカリスマで大きくなっている。

 2もキングダムで語られてきた。桓騎は野党の頭目であり、信に至っては農家下僕である。双方共に戸籍が無いだろうから秦人と登録されてもいなかった遊民である。 戦で自分の居場所を作ってきた。世代は違うが秦人にとっては成り上がり者達の出世頭であろう。

 そして、両者にはもうひとつの相似点がある。

  • 凸(`Д´メ)お上なんぞ知ったことか!!
  1. 「ああ下らねぇ! 俺たち底辺の人間には誰が王かなんて興味がないんだよ。」 
  2. 「そんなに有難がるものかよ。国家なんて一枚皮をはぎゃごく一部の人間が好き放題やってるだけのクソ溜めだろうが。国を守る覚悟など笑わせる。」

 1の台詞が信、2は桓騎である。⇒1の台詞はアニメでもきっちり出てたので視聴した時は嬉しかったなぁ。 
 二人にとって国や王、お上なんど知ったこっちゃない性根がある。元々が下っ端で生きてきたのでその日暮らし生活だし、お上などただの怖い支配者しかない。⇒うしつぎは信は政に出会わなければ桓騎の性根になっていたんじゃないかと思ってました(2016年6月のお話を読むまでは…)

 但し、信は嬴政や昌文君を始めとした上層部階級の人間に存分に触れてきたために、世の中にとってお上の存在が必要なのだ、弱っている人々をまとめて救う事やどうにもならない世の中を変える力を持つ存在だと分かってしまう。 
 対する桓騎は台詞が函谷関での時であるため、信のような変化は全くない。おそらくは幼少期には碌な大人にしか出会わなかったのだろう。

弐、桓騎はどういう世界観を持っているか?

 どう考えても弱肉強食でしょう。

 ベルセルクのガッツのように生きる戦いに特化しているか? 自分の戦をしているつもりかというなら、そうでもなさそうと思っている。 だって自分の戦士としてのルール無いじゃない。弱い者いじめにもためらわないしねぇ。

 強くなりたい気持ちが人一倍強い。自分の強さに自信がある。これは張唐将軍との会話でも分かる。
 中途半端な奴も弱い奴には興味がない。王騎将軍は無視ですが桓騎は自分にとっての道具にしかならない。

参、信のことをどう思っているか?

Shibaraku_01

┐( ̄ヘ ̄)┌ 物足りない。

この一点でしょう。

 関心はあるのは間違いない所です。ガキの癖に強い、自分と似た者同士で登ってきた強さがあるので無関心はあり得ない。だが人生経験が信とは違い過ぎるので二人の齟齬は半端ない。⇒ (;´▽`A``第一、ガキの頃から王様や大臣、大将軍と触れるなんてちょっと考えれば恵まれているとしか言えないだろう。。。むしろ河了貂の方がよっぽどお頭と人生経験が被るわ。 桓騎は何でもやらかしているだろうし、そのせいでなんでも見て聞いてきたから世間慣れしている。  
 

 弁は呂不韋、所業は万極だからな;あ

肆、お頭に変化はあるのか??

信と桓騎の違いははっきりしている。

Gin1
まきますか、まきませんか。

 お上がいるか、いらないか。 これである。

 信は多感な頃から国家上層部の面々と接触してきたので、感化が著しい。 政、楊端和、バジオウ、タジフ、そして王騎将軍のおかげで大将軍というものを目的に夢に向かって歩いていく。 そこには下僕ではなく自分の道が世の中と共に進化として存在している。 信には上に対する姿とは何なのかを思考できる。この点で信は遊民から秦人といえるだろう。

 が、お頭には信仰、敬が無い。 桓騎は野盗・桓騎のままだから。野盗として生きるために奪うから。 世の中なんて変わらない、人も変わらない。

 自分が感謝されるなんて思ってない。生きるか死ぬか、倒すか倒されるか、屈服するか取り込むかである。 そもそも桓騎軍は生存本能で成り立っている。 生き残れるから。そこには自分の変化、感化など存在しない。

だからこそ

自分の強さを示せる。強いから自由ができる。

これでどう変わろうと言えるのか…。書いていてちょっとねぇ~。

 

Photoうしつぎが桓騎の変化の原因を考察してみた。

途中で書きながらふと思う。

Σ( ̄ロ ̄lll)お頭ってトラウマ持ちじゃねえのか!!

 確か城邑を落とした際に村人全員の首を刎ねた。 そこで村人が自分が大事にしていた仲間を敵に差し出して殺していたのではないのか。

 村人が命惜しさに約束裏切って敵に差し出すってのはありそうだからな。

 激怒して村人全員斬り殺したのが桓騎の始まりだったんじゃないかとね。

 頼れるのは己自身だと。周りなんぞ他人だ。当然、上なんか何もしてくれない。守ってもくれない。

 圧倒的な強さこそが全てを司る真実だ。バーン思考になっているんじゃないのか?⇒まあ、この思考は同じ白老大将軍の副将の王翦もそうかもしれんが…。

 万極も長平の恨みで虐殺マシーンになっていた哀しみの鬼だったけれどお頭も結構、そんな口じゃないのだろうか。。

こういう哀しみから生れてきた思考だと嬴政の大悪党の戦にも参列できそうな展開もある。

 楊端和さまの憎しみの連鎖と恨みを切った経験があるからね。大王様がその感じでお頭でも説得するかも。

 お前が大の仲間を殺された恨みで周りを敵にしたように、あいつ(信)も大の親友を殺された。 殺したのは私だ。
     ↓
     ↓
 いいだろう、あんたの大悪党の野望に俺の強さを見せてやろう。と

 そうなると益々、漂を殺された信と接点が似てきそうな気がするんだがなぁ。。さて、どうなりますか。

 

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