「真田丸」と「キングダム」
第三回
合従軍を迎え撃った函谷関の戦いって「真田丸」と一緒だよね。
昌平君も言った詰んでいる局面。
これは戦略図として詰んでいると言ってたのであり、戦術面としての抵抗でしかなくなっているとの意味であった。
大坂の陣は信繁も戦略図では詰んでいると思っていただろう。 片桐さんの言葉だけ聞いても如何に大坂方が後手を踏み続けているか、先を読んでいないのかが分かろうというもの。 一旦は断ったのはふりではないだろう。負ける戦いはしないのが戦国武将の戦であったのだから。
(σ・∀・)σだが信繁、昌平君は諦めなかった!
合従軍には函谷関の鉄壁の要害で対抗、幕府軍には真田丸で対抗する。 そして、大敵をよく倒す。
Σ⊆(・∀・⊂⌒つだがしかし、詰んでいる局面では失策悪手は命取りになる。 李牧の遊撃作戦は昌平君を絶望させ、堀の埋め立ては大坂方の暴発を招いた。
戦には何が起きるかわからない。不可思議勃発の連続である。 戦は魔物。ではその魔物に人はどのように対処すべきなのか。
最後の最後を決めるのは何か!!!
それは総大将の決断である。
何を決断すればいいのだろうか?? それは「キングダム」では答えを示した。
嬴政は自ら戦うために出陣した!! 最前線の蕞の城に乗り込み、住民全てを兵にして一縷の望みをかけて戦った。 それは最後の最後で奇跡を起こし、駆けつけた援軍と共に李牧軍を撃退し、合従軍を退却させたのであった。
では大坂方はどうすればよかったのか?
(TωT)ノ~~~ バイバイ秀頼は転封すべく大阪城を堂々と退去すべきであった!!! 戦うことが決断なのではない。
「真田丸」の秀頼の判断なんぞは東電や民主党(日本民進党)内閣の大震災の判断などと位は同程度といっても過言ではない。
「キングダム」嬴政と「真田丸」秀頼の差とは何か??
決断に必要なのは豪勇を示すこと。 生きるために過酷な未来を背負い、希望を目指して歩くことである。
戦うのが生きるならば戦い、下がるのが生きるならば下がるべきなのであることは、日本人ならば知っていなければならない。昭和天皇がまさしくそうであったのだから。
第三回「函谷関と幸村」 了
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