「真田丸」と「キングダム」
第四回
(´~`)。゜○なぜに信繁は浪人衆を放とうとしなかったのか?? 後藤又兵衛は史実では浪人解放案だったらしいが…。
大蔵卿の判断で堀も真田丸も埋め立てられて激怒した幸村。戦えぬ我等に家康が約定を守るとお思いかと吼えた。
それは歴史が残すようにその通りになる可能性は極めて大だった! 軍兵、軍権を手放したぼっちゃんは狸大老に一族根絶やしにされたのだから。(三国志) 牙を抜かれれば餌食化するのは歴史が先例に事欠かない。
(*゚∀゚)=3 ムッハー!!おそらく信繁は大坂の陣で直江兼続を思い描いていたのだと思う。
関ケ原は上杉が戦を真っ向から挑戦状〔直江状〕を叩きつけて天下分け目の戦になった。 上杉軍は徳川軍を迎撃すべく会津若松で戦おうとしたが、石田三成の挙兵で戦略が狂ってしまう。
戦略が会津から美濃に移ってしまったのである。そのため局地戦として東北諸大名(伊達、最上)と戦う羽目になる。 局地戦で果敢に戦うも所詮は戦術面であり、関ケ原の戦略面での敗北により敗者となってしまう。
それでも直江兼続は諦めず戦う。
長谷堂の退却戦で見事に上杉家主力軍を温存しており、その精強な上杉軍の存在は関ケ原A級戦犯の上杉家の外交を支える威力になった。本田正信は十万石と吹っ掛けたが兼続は三十万石まで押し切っているのだ。
もし、長谷堂で上杉軍主力が壊滅していたら大名存続はまずありえなかっただろう。現に三成の佐和山、吉継の敦賀の領国は全没収されたではないか。
それを知ったからこそ信繁は大阪にはきちんと兵力を維持すべきだと思い浪人衆をたやすく放とうとはしなかったのだと思う。
精強な兵は御家存続の保険である。 「キングダム」でもそれはうかかがえる。 史上唯一とされる燕国主導の列強総動員合従軍の史実がそれを裏付ける。
軍神楽毅率いる合従軍により斉国が壊滅し、莒と即墨の二城のみが抗戦を続けた。抗戦を続ける際に盟主の燕王逝去、合従軍総大将楽毅罷免による亡命で回天が成る。
即墨で合従軍主力の燕軍を撃破してから連鎖的に占領地の斉人の反乱に呼応し、占領地を奪回して斉国を回復した。
真田丸での勝利後、大阪で守って抗戦すれば諸大名から助けする者が現れる。家康に狙いを定めたりと、「真田丸」の信繁の台詞や行動にも古代中国での合従軍の戦にも相通じるものがある。
第四回「合従軍と関ケ原と大阪の陣」 了
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