« 智者の慮は必ず利害に雑う | トップページ | 近況報告 »

名作から名巧(功)を学ぶ

キングダムは初期と比べて凄まじく情報量が増えた━━((゜Д゜Uu))━━!!!!!!

戦術だけでなく戦略まで拡大しているのが今の「キングダム」であり、信の混迷なのだ。

戦術家が必ずしも戦略家になると限らないが、戦略家は必ず戦術家でなければ通用しない。 これは至言である。
 戦術は戦闘の変遷に対応できる職人でなければならないが、戦略は専門職のみではいられない。 戦略とは戦闘を有利に展開できる策戦であるから、戦略思考は柔軟でないといけないのだ。

 

 王翦と李牧

 うしつぎには戦略家と戦術家の相違に見える。 

李牧は確かに屈指の軍師ではあるがこれまでの話から推し量ると戦術系になりそうだ。

 戦術系とは 

王騎将軍を嵌めた作戦、秦趙同盟、合従軍結成、七国同盟提唱、列尾誘引包囲戦まで特異な作戦を繰り出している。が、戦闘に直結する傾向は否めない。やはり戦好きの才能に特化していると思われる。 
 宰相の地位を得ているが政治的才能には乏しい。趙三大天であるが廉頗に近く、戦略の才能は藺相如や趙奢に届かないのではないだろうか。英国ウェリントン元帥も大臣としての実績はたいしたことはなかった。

 うしつぎが諸事にわたる李牧の策を鑑みると、李牧の策の源は…、 “秦軍撃破”であろう。

これは軍人としては最高級である。戦ではおそらく誰も李牧には勝てないのも合点がいく。戦史ではジンギスカン、ナポレオンがこの型の軍人代表だろう。 敵軍撃破は勝つ戦いを主眼としているので、史実の守る軍人・李牧から大幅に改変されている。
                         

 戦略系とは

 対する王翦であるが…白老の副将として桓騎と歴戦をくぐっているがまだ本格的な総大将としては鄴攻めが初である。 それでも王翦の九城攻めから考える限りでは戦術よりも戦略系と定めるのが妥当であろう。 

 民衆を武器にとは明らかに政治面からの発想である。廉頗が王翦を白起と似ていると言っていたが、うしつぎは白起は戦術の天才であり生粋の軍人とみてる。そもそも白起であれば列尾から撤退するし、李牧のいる趙国よりも霊凰のいない魏国から攻め滅ぼすだろう。 

 山陽侵攻八城陥落、姜燕戦、廉頗戦、絶対に勝つ戦のみしない、合従軍オルド戦、函谷関背面防御戦まで王翦の戦いがあるが、共通する点がある。それは…、

 (゚0゚)戦略機動が殆ど無い!! 戦略家であるとうしつぎは言ったが、王翦自身が機動して戦場を変化させたのはない。 姜燕にしてもオルドにしても最初から戦場を設定してそこに誘引させて勝利をもたらしている。 李牧は相手の動きに対応するか、自分から動いて戦場を作っているのに…。
 にも係わらず全体の戦局をよく見ている。函谷関背面防御もそうだったし、鄴攻めでもそれは如何なく発揮されている。もしかすると山陽攻防戦での籠りも全体を見切っての故なのかもしれない。

 

 戦略と戦術の違い

うしつぎがこれまでの王翦の戦をみると、その作戦の源泉は“自軍秦軍勝利”になりそうだ。

 疑問があるかと思うけれど、自軍勝利は敵軍撃破とイコールではない。敵軍撃破は敵兵無力化であるが、自軍勝利は生き残るのが主眼である。それは、

 生き残るためにはあらゆる手段で勝つ。 戦略思考で戦場を考える。 戦いなら当たり前の思考だと思われるかもしれないが、意外にこの違いが分からない人が多い。それは戦術と戦略の違いが言葉にできないのと同義である。

ぶっちゃけ言うならば、桓騎と王翦の作戦思考は重なる点が多い。それを「キングダム」で如実に示した。 敵の無力化より傷少なく戦果は大を求める。双方共に民衆を武器にした。敵軍撃破の李牧なら民衆を武器にする策は選ばない。
                   

 なぜ李牧が読めなかったのか。 

 うしつぎは李牧の戦歴が中原から離れているからだと思われる。 

 歴史を読むと分かるが辺境の戦場と中原の戦場は違うのである。それは日本の戦国時代も同様で上方と地方の戦場で地域差と政治色の違いにも現われている。

 中原の戦場では戦闘に政治側面が絡むことも多く、政治的考慮から戦場が変化するのが戦国時代である。 秦趙でも長平は政治側面で戦局が変化しており、白起もそのとばっちりで死んでいる。
 司馬尚にボコられたオルドの燕国には楽毅が政治側面まで理解して合従軍が曲がりなりにも成功寸前までいった。また魏の無忌も長平以後の政局を俯瞰して秦軍撃破に成功しているのだ。 そして、二人共政治によって晩年を斬られている。

 辺境軍人の李牧と異なり王翦は六将の胡傷や一族の王騎将軍もいるため中原の戦場について精通しているだろう。また政治で戦局が変化することも白起の故事だけでも学ぶには十分である。 

 政治が戦場にどこまで期待度が増すのかと。
                          

 政治家と軍人

 優れた軍人は政治感覚にも鋭敏である。 政治感覚とは自国の政局のみならず国際政治においてもである。 そしてそれは戦略目的から戦闘にまで影響することは疑いない。戦争は武器を使う政治である。

 政治がいびつな国は戦争もいびつである。軍人がいかに優れていようとも政治家が愚劣ならば戦局は優勢から敗北まで転げ落ちるのは「キングダム」でも不遇な名将の末路でも分かることである。 故に優れた軍人は保身を軽く考えない。それは勝利のためでもあるのだから。

 ならば政治目的がはっきりしている軍人はどのように戦うべきなのだろうか。「キングダム」での王翦の活躍は今後、その言葉に対する答えを示してくれるかもしれない。

| |

« 智者の慮は必ず利害に雑う | トップページ | 近況報告 »

始皇さらば」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 名作から名巧(功)を学ぶ:

« 智者の慮は必ず利害に雑う | トップページ | 近況報告 »