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後書

人生を露とたとえた天下人ご両人。

2014年作

 

言わずと知れた中国三国時代の天下人・曹操孟徳。 人生を朝露とたとえた詩で後世まで語り継がれる詩人でもありました。当然、政治面や武人としての実績は語る必要なんてないです。

日本人でも豊臣秀吉が人生を露と例えていました。 天下人足るもの、国家を動かそうとする政治家とは人生の儚さを知りたる人間なのか、はたまた権力を掴むとそんな人間観になるのかわかりませんが…。

 

お二方は結構、共通点があるんです。 天下人でありながら遂に自分の天下を完成せずに死んでしまいました。 曹操は劉備、孫権を倒せずに、秀吉は家康を倒せずに。 大乱世で数多の群雄を打ち倒し、人たらしでもありました。かたや屯田制、かたや太閤検地と優れた行政家でした。 飲み物では中国にお酒、日本にお茶を新しい文化にしてくれました。 

 

しかし、異なる面は差がありすぎたね!

何より末路と家庭面は酷いほどでした。 曹操は家庭では糟糠の妻を終生、大切にしていました。秀吉はどうでしょうか? 兄弟一族でもきちんと面倒を見るのは勿論、養子でさえも一族として曹操は面倒見と待遇を変えることはありませんでした。 秀吉は朝日姫や秀次をどうしたか? 

そして、政治面でも家庭の夫としても末路の差が何故にここまで違うのか? 

秀吉は秀次を謀反として殺してしまった。おかげで人材が争いで消えるか、組織内で一致団結できなくなってしまう。 その後に側室・淀の子供のお拾い(10歳未満?)を跡目にする有様。そのための政治体制は極めて脆弱で、国家の仕組みづくりは手付かず状態。⇒お前、何してたんだ? 最後の時は秀頼のことお頼み申すと懇願の一点張りだった。 流石に喪を伏せて朝鮮撤兵をすることまでは忘れなかったが(実際の撤兵の手配りは家康・利家が船をかき集めてさせたらしいが)。⇒少なくとも、政治家としての末路ではなかった!  曹操は正反対。⇒後継者争いは起こったが、結局は自分で長男と決定する。負けた方は勿論、死ななかった(曹操の御世では)。 国家としての政治体制と人材は沢山いたので死後の問題は大丈夫。秀吉には殆どが強い方になびく地方領主ばかりで、中枢の人間は一致団結できやしない。 最後の時には、天下はまだ乱世だから葬式があければ喪服を脱いで仕事にもどれと、後事をきちんと締める。 お墓には金銀珠玉は入れないでいいと言って、自分の宝物を側室や女官達に公平に分配した。そして、この金で針仕事でも覚えて余生を過ごしなさいと死後の女性問題までも配慮していました。⇒大蔵卿の局みたいな馬鹿が出ないように根。 自分の死後のことまで考えた立派なご最後でした!!

 

 

同じ天下人なのに、何故こんなに差がアンの? 教養か、育った場所が、島国と大陸の差か?

曹操は酒、碁、文学(詩)、古典にも秀でていた。特に詩は天下人の志を高らかに歌うほど素敵です。 覚えてみて損はない。 秀吉は何が他にできたか? 建築(城造り)、お茶か? 

ふと思ったら秀吉の特技ってさぁ、仕事と切り離せないんだよなぁ…。 主君・信長はお相撲興行とか、馬揃えパレードとか、南蛮寺建立とか、自分でも幸若舞や短歌までもやっていたんだよなぁ。イベント好きな信長。秀吉はイベントの才能は信長の域を出ない?

政治家たるものは仕事以外の教養や文化もきちんと身につけないと立派な政治家になれないのではなかろうか?

日本の首相はその点は大丈夫かなぁ?

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