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後書

司馬仲達を蜀に亡命させた超・諸葛亮。

 

王猛 字・景略。

オウモウ あざなはケイリャク。 中国・五胡十六国時代の人。ニートだった頃、南の中国人王朝の英雄にスカウトされたのに断って、異民族・氐(テイ)族の王朝だった前秦三代天王の苻堅にスカウトされたら応じた。苻堅(フケン)は王猛をとても気に入り、劉備が諸葛孔明を手に入れたと激賞する。 苻堅の下で王猛は上杉景勝の執政・兼続張りに辣腕を振るい、政・軍に大いに実績を上げる。中国西部の中小国だった前秦を中国最大の覇権国家にのし上げた。

 此の方は中国人です。生まれは貧しく劉備の莚(ムシロ)ならぬ畚(モッコ)を売って生活をしていた。やがて志を抱いて兵法を学ぶ青年になるのですが、いろんな方のスカウトが来てもそれを避けて西へ西へと逃げていく生活を送っているニートでした。まあ、戦国の世でしたから容易に宮仕えするととばっちりを受けると考えていたんでしょうね。ある意味、仕える主君を探していた秀吉とか高虎って感じで知っておけばいいんじゃないかなァ

 以下、兼続と酷似する事項をちらほら。。

 

一、なんだと?お主、正気で言っておるのか!の提案。(「天地人」#13参照) 御館の乱で北条と武田に挟まれ窮地に立たされた景勝側。兼続は弟・与七の言葉から武田に和議を結ぶことを提案する。武田と戦ってきた旧臣達と景勝からの抵抗が激しかったが、兼続は断固として譲らず武田に領土の割譲と黄金を以って和議を結ぶ。これにより、戦局は一転して景勝側に勝利を運ぶことになった。

  (・_・)こういうことはこちらでも....

苻堅、王猛の秦(前秦)国は南に晋(東晋)、東に燕(前燕)の二大強国に挟まれた西の小国だった。

 五胡の異民族たちに南へ追いやられた中国人王朝の晋が遂に北伐を始めた。進軍先が燕国で、その燕国から領土割譲を条件に援軍要請が秦にきた。

 秦天王の苻堅や旧臣達は燕の国王の狭量さや約束が反故にされる懸念から、これまでの敵対国からの要請など不要と拒絶が軍議を占めていた。しかし、王猛は援軍を出すことを進言する。⇒この燕国の王は勝頼より武力が足りないくせに貪欲だったらしい。。。_| ̄|○ 

敵国、しかも暗君の国に誼と援兵を出す

( ̄ー+ ̄)しかし、こちらは読みが深かった。。。 群臣達、秦王も戸惑ったが王猛は緻密な読みを基にした作戦だった。

  1. 南の晋が東の燕を下せば強大になった晋に歯が立たない。おまけに燕は王が暗君でまともな将軍は一人くらいしかいない。
  2. 援軍を出すことで東の燕を勝たせて領土をもらう。
  3. 東の燕が勝つと、勝利をもたらした将軍の名声が暗君より更に高まる筈! 暗君がその状態を黙っていられる筈が無いので何らかの動きが中で起こるので国が揺れる
  4. 暗君が永らえれば我等に乗じる隙が出来る!!

 王猛の策を秦王は採用し、東の燕国に援軍を出す。燕国は王猛の予想通りに晋の軍を撃退したが、燕国の王は勝利に貢献した将軍や兵士たちを不当に冷遇し、遂には将軍は秦国に亡命してしまう

(*゚▽゚)ノ 司馬仲達を嵌めた孔明以上の大戦果!孔明は仲達を嵌めたけれど、また復職されちゃったもんね。 王猛は敵将が自国に亡命したので封じ込め策の成果は孔明以上でした。 

更に燕国王は領土を惜しみ、援軍要請の条件だった領土割譲まで外交官の不手際、隣国同士で助けるのは当たり前だと知らん顔まで決め込んでしまった。

 義を反故にされた秦天王・苻堅は激怒して、王猛を大将にして約定の領土を軍で切り取りました。

 (*^ω^*)(*^ω^*)ノ彡 相手の馬鹿っぷり度合いまで読みきる王猛。五胡十六国の諸葛武侯と呼ばれるだけありますね。。。 

2014年作

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コメント

コメントのお返しが遅くなり申し訳なかった。

>苻堅のほうは聞いたことがあったという。
 淝水の戦い、第二のレッドクリフからでは? この二人は小説にもなってます。

>孔明以上の大戦果を挙げているんですね。すごい読みですね、これはなかなかの人物です。
 唐王朝の栄光を築いた李世民さえ褒めてましたからね。苻堅、王猛が始めた異民族融和路線は中国の未来だったのですが、完成したのは唐代でした。以後と現代はお察しです。。。

>苻堅は東晋を討って大敗してますね。
 王猛の後を受けて宰相だった弟さん(王猛も見込んだほどの英才)に文武官の重臣達から果ては皇后愛妾息子まで一斉反対だったのに強引に親征したという信じがたいが史実です。

 天下統一。司馬一族のやらかしから始まった大乱世のゴール目前だったので気負いは明らかだったのでしょうが…。曹操、劉備、諸葛亮の例のように成功の道は慎重なくして叶わないですなぁ。

投稿: うしつぎ | 2018年10月 8日 (月) 13時10分

うしつぎさん、こんばんは。

王猛という人は知りませんでしたが、すごい人だったんですね。
なぜか苻堅のほうは聞いたことがあったという。

孔明以上の大戦果を挙げているんですね。
すごい読みですね、これはなかなかの人物です。

調べてみると、苻堅に東晋を討つべきではない、と
遺言しているのに苻堅は東晋を討って大敗してますね。
この話はどこかで聞いたことがあります。

投稿: 諸葛鳳雛 | 2018年10月 4日 (木) 22時37分

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