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令和の長平2

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うしつぎは、2月20日(日)にロシアの戦を読みました。

   

以下は管理人のココログのサークル広場の記事を編集したものです

2月26日 ウクライナの首都キエフをロシア軍は包囲している。

 

 私ははっきり言うが、ロシアも、プーチンと共に負けるとみている。→😀取り消し線要らないと思う(3月現在)
 
 何故かというなら長平の戦いが参照できるのでロシアの勝利があり得ないからだ。

 

 理由Ⅰ、海洋国家との同盟無し。 

 フリードリヒ大王が激戦の末、シュレジエン奪取が出来たのは彼の剛勇と決意だけでなく、海洋国家英国との同盟が最後まで続いていたからだ。

 今回のプーチン・ロシアには海洋国家との同盟が無い!!! 中国との縁があるという浅慮もあるが、それでは資源と経済枯渇して追い詰められた甲斐武田と同じである。

 

 理由Ⅱ、情報の早さ。

 長平の戦い以後も秦と趙の戦いは続いた。戦争が長期化するに従い、周辺諸国が攻められている趙国を救援すべく援軍を出してきて遂にその同盟軍が秦軍を逆に国境の函谷関まで撃退した。

 戦が長期化すれば悲報や鼓舞の声が広まってくる。ましてや今は情報グローバル化が進んでいる時代である。 おそらくこの長平以後の戦いのように今回も為ると予想している。

 

 理由Ⅲ、ウクライナ人の士気。

 長平の戦いで虐殺まで行い勝利した秦の将軍・白起は長平以後に講和を結んでからの再戦に猛烈に反対した。

「敗北した趙は君臣共に憂苦して早く出仕し遅く退出し、辞を卑くして弊を重くして四方の国々ち婚姻を通じ、燕と魏に親交し、斉と楚に誼を交わし、思慮を積み重ね、心を合わせて、秦に備えることを責務としている。そういう国を攻めても勝てないから、攻伐は止めるべき。」 以前の倍の軍を発たせても趙の守備は以前に十倍になっている。 『史記』に記されている。

 時は下り三国志の時代でも、攻めても敵が団結してしまえば勝てないと曹操も見抜いている。


 現在のウクライナでも同じ事が起こっている。 ロシアが軍を出して攻めてきたのでウクライナ人は本当に一致団結してきている。

 長平以後の戦いでも李同という無名の人の決死隊で趙は王都陥落を防ぎ、合従軍の救援の時間を稼げた歴史もある。歴史は繰り返す。ウクライナ人が李同の士気より劣るとは思えない。

 土地を奪っても人を得なければ戦果は獲得できない。それともロシアは人を相手にせず土地と資源だけを得ようというのか。軍の緩衝地帯でも作るために更地にするのだろうか。それとも時代を逆行して更地の後に植民するつもりなのか。

 

 ウクライナ人は怯えきり、ロシア人を憎悪するだろう。もしロシアが負ければウクライナは間違いなくNATOに加盟し、NATO諸国は諸手を挙げて受け入れるだろう。

 故に最早プーチン・ロシアはウクライナ人の心の転覆まで攻撃を止められなくなっている。

 

 令和の長平2前・後より

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