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令和の長平4

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うしつぎは、2月20日(日)にロシアの戦を読みました。

   

以下は管理人のココログのサークル広場の記事を編集したものです

      

      

プーチンは負け戦。

 何度も言うようだが今回のウクライナでの戦争は明らかに長平の戦例である。

 

  故にプーチンは白起の戦略の如く短期終結で決着させるのみしか事態の打開は無い。だからこそ講和を打診してきているのだろう。今後もおそらくは戦いながら打診を続けるだろうと思われる。 

 

 親ロシア勢力を独立国にしたところで経済封鎖が強まるばかりなので意味が無いのだ。(政治、社会学者は独立国認可でロシアの大勝利と言っていたがどこからそう思ったのだろうか)
 要するに国内経済不振、国民の不満蓄積の解消としての政治手段で有り、甲斐武田の踏襲である。

 

 ちなみにフリードリヒ大王のシュレジエン奇襲は成功したが、理由はドイツの盟主が女帝になって継承が不安定だったこと、何よりドイツ領主内の争いと認識されて諸外国の懸念が小さいこともあった。

 

 だがロシアもウクライナも国家であった。シュレジエンの争いとは条件が違うのだ。

 

 プーチンは過去のソ連の大きさを自覚できていなかったと思う。でかいと言うことは相手に与える影響もでかくなるのだ。ましてやソ連のしでかしたことは明らかに民主主義にとってダーティーである。

 

 ロシアはソ連の後継国。プーチンの嘗ての発言で有り今でもそう思っているが、”プーチンから建国したソ連”ではなく、"民主主義と戦ったソ連”のイメージを疎かにしていた。

 

 歴史は繰り返す。歴史を学ぶとは過去との縁を学び、業を背負うことでもあるのだ。

 令和の長平4より

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