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三河一向一揆篇の感想

「どうする家康」7~9話

 三河をまとめたい家康君。だが小戦続きで金がなくなってきた。➡しばしば戦ってしばしば勝つのは滅亡途上だと古典にあり。 どうにかしたい家康君は一向宗のお寺が豊かなのを思い出してそっから少しだけ年貢を取り立てた。➡まあ貧しき者にお恵みをという気持ちは分からんでもない。

 

 💥💥💥だがこれが徳川家康大試練の三河一向一揆の引き金になった。 不輸不入の権利を持つ寺院は違反だとして決起してしまう。歩き巫女(武田間者)の介入もあって門徒どころか一向宗だった自分の家来まで離反してしまう。➡戦う前に勝っておく=敵を弱らせておくのは征服戦略の基本。

 

 三河の国人衆まで反旗を翻して三河国が正に燎原に火が付いた状態になった。それまで曲がりなりにうまく行っていた家康君は瞬く間に桶狭間直後の段階にまで劣勢になる。

 

 家臣が離れる。夏目も離れていった。一揆勢力には瀬名奪還作戦で作戦を練った本多正信まで味方した。➡ちなみに本多忠勝が宗門を改めて浄土宗にしたのもこの頃。 民に背かれる国主は死ぬ。愛民を故・今川義元に教わっていたのに、今や一揆の門徒たちの槍に刺し殺される寸前まで追い詰められる。

 

 それでも忠義を忘れなかった家臣たちのおかげでなんとか生き延びる。そして、鳥居の爺と話をしてから家康君は家臣を信じることに決めた。
 夏目も許されご厚情に身が震えていた。

 

 殿様の信じるとぶれなくなったので徳川兵が現場で大いに敵をたたき始める。国人衆は逃げ出す者も出て、一揆門徒たちに死傷者が続出した。
 正信は徹底抗戦を主張するが寺側が根負けしてしまった。かくて和睦することになった。
 
 逆らったとして正信が縄を打たれて引き出された。正信は悪いとも思っていなかった。悪いのは殿の方だと。

 武士達が民の生活を守ってくれないから。一粒の米にも事欠く生活では生きるのが苦しく、仏にも縋ってなければ生き続けていけない。そんな所に米を奪えばどうなるか???

 分かっているが反省しているが悔いているが、それでもやらねばならない。その悔しさと痛みを受けても前に進む生き続けると家康君は正信に言った。

 強かになりましたと褒め言葉とも取れる言葉を正信は返す。三河に戻ってくるなと追放を命じた家康君。

 正信はここは元は野原でしたから何も無い状態に戻したと和睦後の解決に武士の解決法を一つ残して去った。

     

 ゲリラ戦は第三国の介入を確実に招く。 戦史の教訓正しく一向一揆に武田信玄がちょっかい出していた。

 歩き巫女の報告に阿部信玄はもうちょっと時間かかると思ったが、存外早く鎮めたなと家康の手腕を見直す。その上で巫女に徳川家康とはどんな人物かと問う。

 巫女は才は信長に遠く及ばずと手厳しく言う。それに臆病であるけれどその点を自分で誰よりも理解している方だと言う。阿部信玄は面白いのおと何と高評価だった。 
 巫女も面白き御方と褒めていた。

 

 

 o(*^▽^*)┛漢籍インテリの信玄ならばそう評価するでしょう『孫子』『孟子』など漢籍古典では敵よりも自身を知るのが何より価値が高いとありますので、信玄は家康を晩成の人物と評したんでしょうね。

 

 

 

 

Photo

  

家康の偉大な功績は信長、信玄ですら気付いていない

言い過ぎかも知れませんが・・・

三河一向一揆の前例があったにも関わらず織田信長は石山本願寺で同じ過ちを犯しました。武田信玄に至っては戦いすら敵わず拒否した臆病者です。※まあ甲斐の場合は地勢のせいもあるので、しょうが無いかも知れませんが。

 三河一向一揆は徳川家崩壊すらしかねなかった内乱でした。家臣団の分断、一向門徒の決起、三河領内の武士まで決起する。

 武田の間者が介入してくるのは自然です。 国内ゲリラ戦が第三者の介入を招くのは人類史の不変の戦訓です。

 ( ̄︶ ̄)↗ 戦国時代で政教分離を曲がりなりも成した(成し遂げたとは言わない)最初の人物は徳川家康かもね・・・

 しかも圧倒的な武力も無しで拮抗した実力でなんとか勝利を収めた後の成果です。 これに匹敵するのはフランスのブルボン王朝のアンリ4世あたりじゃ無いのかと思ってます。(この政教分離の余波でアンリ4世は殺されている)

 徳川家康は尚も生きているのでこれを以てしても凄いでしょう。

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コメント

CIC担当殿コメント万歳です。
      
>隣国のセネガルの影響もあるのか、国民の90%以上がムスリム。つまりイスラム教徒でした。 ようするに、偶像崇拝に見えたのだと思います。
     
 一神教ですからね。ただキリスト教も初期は偶像崇拝禁止でしたが布教の方便のためにキリストの像を使い、そのためにギリシア正教とローマカトリックに別れたと習った記憶があります。
     
 戒律が厳しいのは信徒としての平等、横のつながりを重視する所以でもあります。
       
 が、いかんせん人の進歩は欲望の増大と共にあるのが人類史であります。

 富の大きさ、真理の追究が人の進化の両輪だとうしつぎは思っています。 富の大きさは生活欲を、真理の追究は神の追究を経て倫理、技術(自然科学)を高めてきた。

 だがしかし、双方暴走すればどうなるかは歴史が証明している。 セネガルはまだまだそこに気付いていないようですね。

投稿: うしつぎ | 2023年6月 2日 (金) 20時05分

ガンダムUCの二次小説を書いていて、大軍同士
の知略を駆使した戦いが、つくづく好きだと思っ
た、CIC担当です。

>最近でもガンビアの外国人が日本の神社お賽銭
>箱に神を祀るなと攻撃していた。
>世界が特殊なのか日本が特殊なのか、特殊って
>何だ??
 ガンビアについて調べてみました。
 隣国のセネガルの影響もあるのか、国民の90
 %以上がムスリム。つまりイスラム教徒でし
 た。
 ようするに、偶像崇拝に見えたのだと思いま
 す。
 特殊という言葉を漢字で分解して、調べてみ
 ると「ほかとことなり優れている事」という
 意味になりました。
 この解釈から、別の物として長い年月磨か
 れ、成熟した物と結論を出しました。
 ただ、各地のイスラム過激派は特殊でも、何
 でもないでしょう。
 自分たちの文化を磨きつつも、他の文化を認
 める度量がない。
 バーミヤンの石窟にしても、イスラム文化の
 産物ではなく、あくまで仏教文化の産物。
 それが解らないのは、明らかに愚者の証拠。
 それか、行くところまで行った「特殊な馬鹿」
 ですな。
 文化はガンビアの物だけではなく、世界に出
 れば国の数だけ文化がある。そのガンビアの
 人は、それが解っていなかったのでしょうね。

投稿: CIC担当 | 2023年5月30日 (火) 22時50分

CIC担当殿コメント万歳です。
>家康は、中国の歴史書は読んでいなかったのだろうか。
     
 三方ヶ原の戦いも視聴しましたが、雪齋さんや義元さんからどこまで学問していたのと疑問符つきまくるような家康君でしたなぁ。
      
>政宗も、一揆への介入をしていましたね。
            
 嗚呼やってましたなぁ!!! だが今の家康君ならいざしらず蒲生氏郷、豊臣秀吉相手では分が悪かった。舐めたツケが国替え減封でしたね。 よけいなちょっかいは足下をすくわれる好例です。
        
>宗教が政治に介入してはならない。そして、政治も宗教に介入してはならない。
          
 最近でもガンビアの外国人が日本の神社お賽銭箱に神を祀るなと攻撃していた。
 
 世界が特殊なのか日本が特殊なのか、特殊って何だ??
       
>本当に野村萬斎さんは、いい演技をしていた。
     
 大河ドラマは、主演する俳優がなにより見所ですわ。

投稿: うしつぎ | 2023年5月26日 (金) 22時51分

>だがこれが徳川家康大試練の三河一向一揆の引
>き金になった。
 年貢を取り立てられ、貧しい生活を送る農民に
 とって、宗教は心の拠り所。
 故に、宗教関連はデリケートな部分。
 中国でも、宗教が大規模な反乱のトリガーにな
 った事は少なからずある。
 家康は、中国の歴史書は読んでいなかったのだ
 ろうか。悪政に苦しんだ民たちと宗教が融合し
 た例で、中国で一番メジャーな黄巾等の乱。
 太平天国の乱、紅巾の乱、白蓮教徒の乱等々。
 ちょっと上げただけなのに、学んでいなかった
 のだろうか?
 それとも、あちこち火消しに追われて、余裕が
 なかったかな?

>ゲリラ戦は第三国の介入を確実に招く。
 今でいえば、ワグナーグループですかね。
 シリアだけかと思ったら、そこからさらに南下
 して中央アフリカまで、介入しているのを確認
 しました。
 武器も、たっぷりとばらまかれますし、実質的
 に貸しにできますので、アフリカ進出という国
 家戦略の先兵にもできる。
 ちなみに、現在は物の見事に裏目に出て、両面
 作戦どころか、三面、四面作戦になり、精鋭部
 隊をウクライナに投入できずに、多数の損害を
 被り、刑務所で兵を募集したりしても士気も練
 度もは上がらず、最近ではレジスタンス活動を
 している市民によりインフラを破壊されたり、
 自滅したりと、ダメダメです。
 敢えて言おう、カスであると!
 もうワグナーは手を引いた方がいい。
 社員がそろいもそろって、再起不能になります
 よ。

>戦史の教訓正しく一向一揆に武田信玄がちょっ
>かい出していた。
 政宗も、一揆への介入をしていましたね。
 奥州仕置で改易になった、葛西・大崎の所領の
 領主になった木村氏親子の悪政で一揆が勃発し
 ましたが、ここで政宗が裏で糸を引いていた。
 そこを秀吉に怪しまれましたが、花押の針の孔
 という細工と、黄金の張り付け柱のパフォーマ
 ンスで切り抜けましたね。
 この当時は、政宗はまだ天下をあきらめていな
 かった。
 信玄は、今川領を攻略し、三河も手に入れる絵
 図面を描き始めていた。
 が、残された命の砂時計の砂が、少なかった。
 もし、脂が乗り切ったままで、病気もしておら
 ず壮健なままの信玄なら、冗談無毀に三河も危
 なかった。そして、尾張も…。
 中井貴一さんの武田信玄の信長曰く「山の如き
 男」の信玄を、信長は迎え撃てたでしょうか?

>家康の偉大な功績は信長、信玄ですら気付いて
>いない。
 現代では、サウジアラビア等イスラム国家が、
 碌にできていない国が多い。
 結果、女尊男卑の国が少なからずある。
 イスラム教を信じることにどうこう言うつもり
 はありません。
 ですが、それを理由に差別される女性は、堪っ
 たものではありませんよ。
 宗教は、決して政治に介入してはならない。
 政治とは、理性と知性の世界。
 宗教は、経典と感情の世界。
 世界のメカニズムが、まるで違う。
 故に、政教分離は必須。
 日本は無宗教と諸外国の人には思われているよ
 うだが、宗教がより身近にあり寄り添いあって
 いるのが、日本の宗教だと思います。
 ただ、祭政一致で、政府がいいようにつかった
 のはおおいにいただけなかった…。
 宗教が政治に介入してはならない。
 そして、政治も宗教に介入してはならない。
 これを、明治以降の政治家がもっと知っていれ
 ば…。

 宗教は政治と距離を置き、唯々、民衆の心の支
 えたるべし。
 が、それ故に、農民一揆のトリガーともなる。
 政教分離と、民衆の心の支えとして宗教が存在
 するには、善政がつくづく必要と考えます。
 不輸不入の権利は先代との契約であるのに、年
 貢を取り立てるのは、やはりまずかった…。
 本来なら、耕作地を整備し領内の石高を増し、
 海に面した国という地理的状況を活かした、太
 平洋側の交易ルートの一つにする等、利益を上
 げる治世を行うべきだった。
 もし、その時も今川が健在で一門衆の一つとし
 て兄弟のように氏真と助け合っていれば、商業
 等で、国を富ませるアイデアを出して、手も貸
 してくれたでしょう。
 が、三河の主として独り立ちした今、家康自ら
 考えねばならなかった。
 にもかかわらず、本来取り立ててはいけない場
 所から取り立ててれば、皆が怒って当然。
 安直で三流の悪政であるなど、碌に文字も見え
 ない百姓でも解る。
 戦をしても大丈夫なように、経済という土台や
 柱をしっかりさせること、戦以上に領主にとっ
 て大事な事です。
 さらに、田中芳樹さんの「タイタニア」で、食
 い物の恨みは革命の最短ルートと言われるほど
 に内乱等が起こる。
 故に、起こるべくして起こった内乱でしたね。
 本当に、よく鎮めた物です。
 故人で今川は敵なれど、義元は沢山の教訓を、
 家康に残してくれました。
 東海道一の弓取りの数々の教え。
 生かすも殺すも、家康次第。

 本当に野村萬斎さんは、いい演技をしていた。
 桶狭間がなく、嫡男の氏真を支える大黒柱とし
 て超英才教育をするのを、見たかったなあ。

投稿: CIC担当 | 2023年5月21日 (日) 11時41分

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