瀬名奪還作戦の感想
【感想】
<(_ _)> 溝端淳平さん
見事な演技でございました! かわいい瀬名奪還なんてどーでもよくなった。
実を言いますと最初、5・6話で今川氏真なんてと軽く思っていました。。。。🙇軽く考えてごめんなさい。
だが、百聞は一見にしかず!
実際に5&6話を視聴しますと、今川氏真さんの哀しみが溝端さんの迫真の演技でまさまざと響いてきた。
σ(^◇^;)つくづく人は先入観に支配されているのだなと痛感いたしました。
学生の頃に上の掲載の漫画「徳川家康」を読んだ者として今川氏真とは暗愚な人物だとの評価が脳内を支配しておりました。その後、いくつかの書籍を読みまして、氏真の資質、文化的教養、時代に見放された政策とかもあって少しはマイナス評価が軟化していました。
が、この二回でそうではない見方を考え直すことができました。
- 北条(氏親からの懸念であって河東を奪還)、武田(外交と武力で一歩も領内に入らせない)、織田(織田信広殺さずに捕虜にする武力)すらはねのける強国を作り上げた偉大な父。
- そんな父を尊敬している
- 父は当主として資質が足りないと言われてもそれでも父は敬愛すべき人
- そんな父に見込まれている三河の松平元康は自分を兄のように慕ってくれている
こんな氏真さんが桶狭間の戦から今回までどう変わった。。。
- 偉大な父討ち死に。並びに歴戦の武将達も戦死あり
- 同盟国だった武田はこっちに牙をむき始める
- 頑張っているが上手くいかないのでイラつく。それを見限りのネタにして離れている家臣達もいる
- よりにもよって偉大な父に見込まれ、私を兄と慕った松平が裏切る
( ̄ε(# ̄)☆╰╮o( ̄皿 ̄///) そりゃキレるわ!
しかしながら、不幸なことに彼は一介の武士ではなく国主(戦国大名)だった。。 一介の武士ならば可児才蔵の如く次々と使える主を換えていける自由がある。 だが、国主はそうはいかない。
昭和のドラマからやってきた(笑)、どっかのおっかさんが言うように家のためならば妻子捨てろ位のみんなを世話する苦しみを背負わなければならんかった。 嫌だ何故だとか自分の泣き言で苦しむのさえも、みんなのためにならなければ許されない。
人生、我慢が無ければ責任すら耐えられない。人生とは我慢の連続、それはすなわち人の一生が苦から逃れられない戦う生涯であることを裏付けている。
( *^-^)ρ(*╯^╰)哀しいね馬南慈(違)、氏真さん
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コメント
ようやくお返しできます。遅くない申し訳ありません。
>この辺りは、勝頼も似ていますね。一つ違う点は、勝頼は武将としても優れていた。
しかしながら、双方共に亡国の憂き目に遭いました。優れていても🚫、足りなくても🚫となれば運命でどうにもならんのかと古より酒や娯楽に逃げる暗君は数知れず。
自分達の足りないところ、攻めてくる周り双方を考慮して行動しなければ亡国どころかお家断絶、自身の命さえ保てない。
>つくづく、人は生まれを選べない。
嘆く前にすることがある。つくづく困難が多いのが人生なのか。
投稿: うしつぎ | 2023年5月20日 (土) 09時58分
こんにちわ。
いきなりの雨で、行く予定だった眼科に行けな
かったCIC担当です。
>この二回でそうではない見方を考え直すこと
>ができました。
この辺りは、勝頼も似ていますね。
一つ違う点は、勝頼は武将としても優れてい
た。
信長も、勝頼の武将としての際が優れていた
のを認めて、長篠の戦いに至るまでの間、事
を慎重に進めていたそうです。
が、氏真にはそれがなかった。
これは、致命的でしたね。
父の義元から行政関係の際は、受け継いでい
たそうですが、戦国時代は戦って、ナンボ。
無論、行政は大事ですが、武将としての才は
必要不可欠。中井貴一さん主人公の武田信玄
の氏真も武将の才が無いのを自覚していたの
か。かなり焦っているように感じられました。
義元にせよ、信玄にせよ、武将としての才に
行政の才も兼ね備えていたので、後継ぎは、
堪らなかったでしょうね。
>一介の武士ではなく国主(戦国大名)だった
戦国時代にも、一種の官僚的性格を持った役
目の武士もいたので、大名でなければ、そち
らで才覚を発揮すれば、よかった。
つくづく、人は生まれを選べない。
世に言う親ガチャで、氏真はサラブレッドの
家系に生まれて、勝ち組とも一見見えますが
恵まれているとは、ちょっと言いかねますね。
元康が三河を平定後も、今川の一門衆として
軍師でもあり、大将として出陣もした雪斎の
ようなポジションであったとしたら、氏真は
家臣たちが戦いの事に集中できるように、領
国の内政を整える事に手腕を奮えたかもしれ
ませんね。
投稿: CIC担当 | 2023年5月15日 (月) 18時09分