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第44話 杏はうまい まつのした

徳川幕府誕生

 戦勝報告を大阪でする家康。

 家康は政はこの家康にお任せあれと言う。

 淀君は横にある柱を家康に見せる。あの柱に背丈を刻んで成長を図っている。あと10年すれば太閤殿下を追い越す、そうすれば太閤殿下の果たせなかった夢もと言う。
 それまでの間、秀頼の代りを頼みますると淀。 頼りにしておると秀頼。 

 平伏して家康は去る。 姫と姫君の婚儀はしかと勧めましょと淀君。秀頼に家康狸は信じるなと教える淀。 

 はよう人質をよこせと言っておるのじゃと家康は喜ぶ秀忠をたしなめる。

 

 将軍になって幕府を開きましょうと正信は進言する。武家と公家で住み分けられるかもしれんなと家康は腹を据える。正信も動く。

 

 槍の穂先を磨いていた忠勝は指を切ってしまった。

 

 伏見城で於大と北政所を🍵で接待する。今日まで寅の寅年産まれと信じていた家康。それは嘘だった、兎年らしいと於大から分かった。

 北政所が去った後でも於大をもてなす家康。 国のために全てうち捨てよと言ったことを於大はそれが正しかったことかと後悔する。もう捨てる出ないぞ、そなたの大事なものを大切に死なされと言う。
 背でその母の言葉を聞く家康。 於大も逝く。

 

 征夷大将軍となった家康。徳川幕府誕生。三浦按針は大船建造、本多正純は朱子学を勧める。正純は父のようになってはならぬ、これからの世にはそれが必要だと家康に言う。

 本多忠勝と榊原康政。忠勝は自分の画を描かせる。康政が桑名はハマグリが美味いと聞いたので立ち寄った。館林も良い所じゃと忠勝。恩賞少ないのが不満かと問われるとまさかと否定する。 

 もう我らの働ける世ではないのかもしれんぞと康政。戦無き世を作る者達が殿の元に集まり始めている。 私は秀忠様のご指南役が最後の仕事だと康政。
 関ヶ原の傷で死んだ直政は上手くやりおったと忠勝は亡き戦友を褒める。

 

 千姫が家康に泣きつく。千はゆきとうござりませぬと言う。母上は姉上は何を考えているか分からないと言う。驚いた母はもう一人の姉・初がいると宥める。
  家康は何かあったら助けに駆け付けると千に約束する。

 

 大阪は大野治長が戻って来た。

 

 家康は秀忠に真っ先に聞くことが娘のことかと言う。関ヶ原に遅れたときから何も成長しておらぬと言う。

 遅れたのは私のせいではないと秀忠。身近な者達ばかりで来た、お前は大将だから全軍で来なければならない、人のせいにするな、全て己のせいなのじゃと家康。

 手紙を間近で見る忠勝。忠勝は隠居を命じて下されと言う。 

 そこに康政が来て生涯最後の諫言と思い申し上げますと切り出す。肯いて聞こうとする家康。

 皆の面前であのように言うべきではございませぬ、関ヶ原をいつまでも言うのは、殿のお怒りは余りに理不尽、あの年では殿とてどれほど頼りなかったかお忘れあるなと。→正論ですね。

 

 儂は耐えがたい苦しみを味わった、あやつにはそれがないし、周りにはそれを言う奴もいない。 康政が苦しみを知らぬ事は悪いことでは無いと言えば、忠勝も時間をかけて経験を積めばと言う。

 それでは間に合わぬと家康。関ヶ原はまだ終わっておらぬ、あれは豊臣家の仲違いの戦、大阪では豊臣家がまた集まっていると。正月では大層な賑わいだったと。→同じお話あったなぁ。。

 

 関ヶ原以後にもっと浪人達が集まっていると。→( ̄y▽ ̄)╭ Ohohoho.....真田信繁蟄居なのにあんな軍事訓練などできんじゃろう(大笑い)。 

 食い扶持は与えておるはずと忠勝は言うが、奴らの食い扶持の元は戦じゃと家康。 まだ老いるなと二人に家康は、戦が起る刻に備えてまだお前達の力がいると言う。
 まったくいつになったら主君と認められるやらと手のかかる主君じゃと。

 

 秀忠に関ヶ原の不始末について問う家康。秀忠は私の落ち度と答える。

 理不尽、この世は理不尽なことだからけじゃ、儂ら上に立つ者はいくらでも結果に責を負うことじゃと教える。手柄は家臣に、責めは儂らが負う、それが儂らの役目だと心得よと教える。

 

征夷大将軍は一年の後にそなたに譲ると言う。準備にかかれと。
家康。秀忠がえっと驚く。

 答合わせを正信と康政が秀忠に教える。才、才ある者が家を一代で栄えさせ滅ぼしたのを我らは何度も見てきた。一人に頼る家は長続きしないのだと。
 人並みのお人が継いでいけるお家こそが長続きいたしまする。だからこそ偉大な凡庸である秀忠様に将軍を譲るのですと。 

 老臣二人に教えられて秀忠は元気になった。

 二代将軍徳川秀忠。その知らせは大阪にもたらされ、淀君に大野治長らは怒る。それどころか挨拶に秀頼を来させろとあったので、そんなことするくらいなら秀頼とともに死んでやると言い放つ。

 

 忠勝はまだ画に満足せず、また絵師に自画像を描かせていた。何度書き直させているのか、絵師もお前を見ずに書いている、もう別人じゃろうと康政がまた来た。度々来る康政に問いかけると不意に忠勝は気づいて去ろうとした康政の腕を掴む。

 どこが悪いと問われると康政は腹ワタじゃと答える。たわけ、老いるなと言われただろうがと忠勝が言う。 康政は右手に傷があるのに気づき、見えてオランのだろうと言う。 黙ってしまう忠勝。

 

 老いには抗えぬ、我らはここまでジャ、役目を終えたのじゃと言うと立ち去る康政。待ていと叫ぶ忠勝は槍を二つ持って庭に下りる。一本は康政に渡す。

 

 儂は認めぬ、殿を守って死ぬのが儂の夢じゃ、老いなど認めぬ、見届けるまで死ぬなと涙声で叫ぶ忠勝。槍を構えてしまう康政。

 

 槍の柄で戦う二人。 

 やがて組み打ちが終わり、二人は縁側に座る。康政は忠勝に殿と認めているのはいつからジャと問う。

 大樹寺じゃと忠勝は答える。同じじゃなと答える康政。あの時の姿に忠勝は痺れて道を開けよと言った。康政は憧れていた。

 睨みをきかせてな まだあの背中を見てみたいのぉと康政に忠勝はと話す。 そういう意味だったのかと笑う康政。→西国の大名だけで無く主君の偉大な背中を見続けられるとのこのセリフはかっこよかった。

 

1606 康政→アホか!一年後なのにそんな腹ワタでよく館林から桑名まで出かけてたわ。。。
1610 忠勝

 

 遂に四天王全てを失い、その忠勝画像を見ている家康。評定の時でございますと阿茶。 大阪は浪人達を集めて施しをしていると正信は秀頼様はおいくつになったのでしょうかと家康に問う。

 

1611 秀頼は19歳になった。

 

 遂に太閤秀吉の背丈を越えた。 喜ぶ淀君はどこからどう見ても見事なる天下人よと言う。

 さあ宴の刻じゃと秀頼。時が満ちたと家康。

 

 

 

 

Photo

 

 

柱の傷で年月を数えるのは良かった。

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