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信約キングダム 106回

キングダム編 第106話   

あの時、この回ほど「義風捫虱堂」を立ち上げた自分を褒めたいと感じたことはなかったww!! 20080410φ(・ω・ )メモメモ

#「修行願い」
 もっと強くなるためには修行、それも天下の大将軍の下で訓練したいと思った信。その信はアポも無くいきなりの押しかけで秦国の六大将軍の最後の一人、王騎将軍の下に行く。 押しかけで演習に参加したい、将軍の片腕にまでなるとまで言う無謀の童・信に将軍は死なねば分からないようですねと不敵な笑みを浮かべ、もっと楽しいところへと信と一緒についてきた渕を何処かへ馬車で運んでいく。

 馬車の荷台に乗せられる信と渕。側には将軍がいて、御者は副官が馬を走らせていた。

 見渡す限りの荒地の大地、何処に連れて行かれるのかと不安な渕だった。馬車が走る中、将軍が信に何かあれば質問してよいと話す。将軍たる私と会話をする機会など早々無いのだからと。

 渕は信の耳元で聞いて聞いてと囁く。⇒おそらく言葉を選ぶようにと考えたのでしょう。 だが、お馬鹿な信はそのまま自分の言葉で将軍に質問した。 「将軍はどうやってなったのですか? 六大将軍に。」 将軍は遠い目をして少し笑う。

 驚きました、そんな古いものをよく知っていましたねぇえと王騎将軍は己の称号に懐かしさをこめて言う。 信は王宮で蒙武って奴が六大将軍を復活させろと言っていたからだと答える。  王騎は呂丞相の四柱の蒙武ですか、如何にも彼らしいと答える。 が、王騎は六将復活は無理な話ですねと一蹴する。 何故なら今の秦国で「六大将軍」の名に見合うほどの人物は一人もいないからと迫力をこめて断言する! 

 一人もいないの答えに驚愕する信。 驚く信に王騎は話を続ける。 あなた方は六大将軍を少々、誤解しているようですねと。

 

嘗て秦の国には戦に明け暮れた六人の大将軍がいた。

 白起、王齕、胡傷、司馬錯、王騎、摎の六人。 

 数多の戦場を駆け抜け 数多の敵を葬った暁―

 近寄るだけで敵は平伏し 城を明け渡すほどにその六人の武名は

 中華全土に響き渡った。

(@Д@;胡傷が入ってくるとはなぁ。。。 管理人も胡傷を予想していたのですが六将予想には入れなかった。というのは、胡傷(胡陽ともいうそうだが)は趙の馬服君に叩きのめされているからなんだよ。。

 そこで昭王は我等を活動しやすいようにと六将制度を作った。要するに六将が凄いのではなく、我々六人が桁外れに強かっただけのことだと。 副官に問うと、実の無い所に作っても意味が無いと答えが返ってくる。

 しかし、蒙武も悪くは無い。彼の生まれ持っている武人の才は我々六将に引けは取らないと言う。呂氏の配下たる蒙武の強さはそこまでと知らなかった信は驚いた。 しかし、積み上げた経験が少なすぎると未だ甘いと辛口評価をする王騎将軍だった。六将を言う前に百戦こなしてから言えと。 改めて目の前にいる将軍が本物であると知った信は憧れを益々強くする。⇒名将勇将猛将に憧れるのはその道への第一歩でありますね( あくまで第一歩ですが )。 アニメ漫画だけでヒーローを知るなんて危険極まりないわ。

 

 続けて王騎は信に将軍になりたいのと尋ねる。勿論、信は即答で大将軍にと。この私のところまで登ってきたいとと将軍は問う。 しかし、一呼吸置いて嘗ての親友を思い出した信は途方も無い答えを出してしまう。

 「俺はアンタを超える。俺は天下で最強の大将軍になって歴史に名を刻むんだ!!」

>>嘗てナポレオン・ボナパルトの母親は息子に栄光に生きろと教えたとか。 “歴史に名を刻む” 今、この言葉をどれだけ親身になって感動できる日本人がいるのだろうかと自分も深く考えてしまった。栄華に生きるというものが多すぎ。 子供を持つときにきちんとこういうことを理解できるように教えないとあかんぁああ。 

 王騎がしばし時間を置いて笑いまくる。 お馬鹿もそこまで突き抜けたら才能ですよと誉める。副官も度肝を抜かれたと答える。 いいでしょう、気に入りましたと好評価の王騎将軍。  しかし、そこまでいくには相当の努力が必要です、死をも厭わぬ努力がねと王騎将軍は喋り続ける。 覚悟を決めてきた信はどんな厳しくとも耐えてみせる、だから、修行をつけてくれと信が武者修行を頼む。 次の瞬間、将軍が取った行動が…、

 「嫌です。」と信を崖下へ蹴り飛ばしたのであった えっと信じられない信の表情、その身体は崖下まで宙にあった。。。⇒無謀過ぎれば早く死ぬの教えと見るしかないのだろうか。。。 露骨過ぎだ。酷すぎることこの上ない。

 

 それにしても・・・、

 キングダム六大将軍のうち当ブログで五人まで大正解だったわアアア ふふふふ、いつの間にか五遷・主簿はストーリーネタを作れるほどに才が身についていたとは。。。

 

 そうか、きっと原先生は当ブログを見ているのであろう( いや、きっとそうに違いないんだ云云  ) しばらく五遷・主簿は次週まで妄想が抜けそうに無いぞ。。。

 

φ(・ω・ 2012年回顧)メモメモ

あの頃は楽しさが満ち満ちていたなぁ。。感想が楽しくて仕方なかった。漫画感想の楽しさに目覚めてきたからな。

ちなみに五人まで正解だったというのは以下の記事より参照

 

「深読み過剰から歴史を語る」     20080229記

 

キングダムでふと考えたんだが・・・、

六大将軍制度の6人て誰に該当しているのかナァ??

 蒙武が言うように昭王の代で始った六将といっていたが、本当に史実でもあっタンかな??

 確か鄭問著『秦始皇』では六虎将という屈強な将軍達が描かれていたナァ。 勿論、王翦将軍が筆頭格だったし、蒙武、王賁もいた。あの漫画でも始皇帝は圧倒的な自信あふれる人物として描かれていたが、どこか孤独の臭いがあった惹かれるキャラだった。 短期で終わってしまったのがなんとも惜しい。

     で、蒙武がいう六将とは誰を指すのか考えてみた。。。※ちなみに私は漢文読めないです。。。

 一、白起 これがいないわけが無い!! 無敗のまま死んだ永遠の常勝将軍です。常に勝利を重ね、秦の版図拡大に最も貢献した将軍であるのは間違いない。武安君の称号があったっけか…。

 二、王齕 オウコツ  上党の戦いで秦軍をおおいに武威を誇った。しかし、長平の戦いでは趙軍を押し切れずに白起に主将の座を明け渡した。けれども、その後代が変わっても活躍していたらしい。

 三、司馬  歴史家司馬遷の遠祖に当たる将軍。だが、昭王の代で大いに活躍して蜀の制覇に多大な武功をあげる。

 四、向寿  昭王擁立に貢献した丞相・陶侯の一族だが、結構に一軍を率いていたらしい。唯、軍才は公子としてはある方だったが即断で決するほどのずば抜けた戦争の才幹は無いと思われる。⇒こんな才能がポンポンあるほうが尋常ではないのですがね(笑)。 やがて白起の出番をこの向寿の椅子にすげ換わることになった。

 五、王騎 たぶん、六大将軍で一番若かったんだろうと思う。 でも史実だと昭王の代から活躍していたのかナァ? 政の父親だったら史実に無理が無いんですがね。

 

 で、最後の六番目がどうしても予想がつかないんです。

 

王陵か、張唐かとか思ったんだがいま一つにインパクトナ武功が見当たらない。で、誰に考えたらというとこうなった。

 六、摎 この将軍で事実上、周王朝が倒壊している。 何故か二のオウコツの戦線と交代していることから結構な軍才があったのではないかと判断した。

 以上、昭王の戦争の自由とやらが与えられたに相応しい将軍を出してみた。この中に当然のことながら信の初陣の戦線を率いた麃公将軍は該当できないし、丞相・応侯の親友たる鄭安平将軍などは勿論有り得ないだろう。

 だれか、突っ込んでくれないかねぇええ。 六将の史実に近い六名は誰ですか??

 

Caocao1あの時に来た勇者たちよ

HNをきちんと書き、辺境のブログであろうと

言葉を選んでコメントに来たことは此処でも忘れない。

 

  1. そもそも王騎が王齕なのか王翦なのか、全くのオリジナルキャラと判断すべきなのか、未だによく分かりませんしね。そういや秦本紀見てたら昭襄王二十二年に蒙武が斉を攻撃してますね。けっこう年寄り?キングダムの六大将軍に蒙武の父の蒙驁が入ってる可能性があるでしょうか?  【nagaichさん】
  2. 【史記列伝の王騎】列伝(岩波文庫二巻 P126 3行目)に、王騎(騎の字のヘンが違うが・・)という将軍のことが一行だけある。昭王50年に邯鄲を包囲した、とか。このとき、王騎30才ぐらいだとすれば、昭王はこの六年後に死に、三年後に政の即位、その11年後に王翦の史書デビュー。ということで、この「オウキ」が王翦だとすれば、当時、30+6+3+11=50歳ということに。将軍としては、働き盛りか。また、統一間近の、対楚戦のときには老齢を冷やかされていたから、その点でも合致するのではなかろうか。
     昭王の元では王騎だったが、王の死後引退していたが、生まれ変わった気持ちで、政に使えることにして王翦と名乗った、という設定だろうか。だとすると、今後の展開の中で、そのシーンが出てくるはずだが・・    【一久さん】

  3. 史記の秦始皇本紀によると蒙驁、王騎、麃公に関する記述があります。ちなみに王騎の騎の字は齮となっています。註(注釈)によると蒙驁は斉国の出身で蒙武の父、蒙恬の祖父とあり、王齮は王齕とあります。 【ヤスさん】

  4. 亀レスですが史記の秦本記だとオウコツ始皇本記だとオウキ注釈で二人は同一人物って出てますな。原先生のミスかと。

返答①> そもそも王騎が王齕なのか王翦なのか、全くのオリジナルキャラと判断すべきなのか、未だによく分かりませんしね。

 それぞれ別人ではないんですか? てっきりそう見ていたんですが…。でも王騎=王齕がありそうですね。長平の戦いで王騎が登場していたからナァ。

>秦本紀見てたら昭襄王二十二年に蒙武が斉を攻撃してますね。けっこう年寄り?

 歴史家の読み違えではないんですか?? 歴史書も記述間違いがあると考えて読んだ方がいいかも(笑)。あるいは同名別人?

>蒙武の父の蒙驁が入ってる可能性があるでしょうか?

 五遷・主簿は無いと思っています。昭王在世から活躍し始めていないので・・・。荘襄王なら大いに活躍していきますが。まあ、だから呂氏の下に蒙武がいるのですがね。ということは親子二代で呂氏派か!

 それにしても昭王の在世は怪物がうようよいますよね、政治家も軍人も・・・。ああいう黄金時代が日本の政治にも到来するのでしょうか? 今の政治家にできそうな気がしないと思うのは私だけですかね。

②>王騎(騎の字のヘンが違うが・・)

 この字はどうやら騎の古い漢字でよろしいようです。ですので、王騎という武将は確かにいたと。

>昭王の元では王騎だったが、王の死後引退していたが、生まれ変わった気持ちで、政に使えることにして王翦と名乗った、という設定だろうか。

 使える⇒仕えるですよね。まあ、分かっていますので大丈夫でした。

 確かにこのネタは十分に原さんも使ってくれそうな気がします。唯一の気がかりは、現時点で趙軍との戦いが連載中ですが、王騎将軍(『史記』中にある)はこの年に死んでいるということです。

③>史記の秦始皇本紀によると
 そちらだけでなく宮城谷昌光さんの小説を読んでみると一層、楽しいと思いますよ。一読の価値はありますので。

④>注釈で二人は同一人物って出てますな。

 果たしてそのまんま受け取ってもいいかどうか…。史記は結構司馬遷の史料読み違えとかあったりするのだとか。

 漫画は十分ひねってあるし面白いから構いませんね。ミスというよりあえてそうしたのかも。

 歴史学では困りますけれど。興味楽しみを史実ネタまで拡げてくれるのは素敵だ。

quotation:義風捫虱堂「戦う者に道が2つある。勝利と、死と!」080410

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