後悔
呂不韋と宮城谷昌光 (絶望編)
呂不韋。 商人から策と金で成り上がり、遂に秦国の相国に登った傑物。
2014年記
ていうか、相国になってから見せ場無いだろ? 合従軍編においては亡国の背信行為にまで手を染める。秦趙同盟のあの雄姿はどこへ行ったのか???
呂不韋が出てくる小説漫画はいくつもあるが、その中で宮城谷昌光さんは呂不韋個人を題材にした小説を出している。
特別に執筆意欲がそそられたのか他の小説漫画にあるはずの風聞が無い程に、宮城谷さんの呂不韋伝ともいうべき小説としての力作になっている。五遷も最後まで読んで素敵な感想を持った。 ※麃公将軍の存在はココで知った。
呂不韋の人物像を商人からの目で中華を変えていこうとする素敵な政治家としてのものだった。呂氏派にとって最高のテキストと言っても大過ないだろう。
だが、『キングダム』においての呂不韋はその宮城谷さんの筆を以てしても救えないと思われる。
だって、宮城谷作品で証明しているんだもん!!!
(中略)「さようか。吉報を待っている」と、いい、軍をかえした。
実力のない文公と晋軍は中原の火の粉を浴びて逃げ帰るにちがいない。けっきょく王室の内紛をかたづけることのできるのは、自分しかいない、と繆公はおもった。ここで繆公が皮肉な気分を棄てて、「ともに王事に奔走したい」と、文公の使者にいい、秦軍を東進させたら、その後の秦はずいぶん違ったものになっていたであろう。が、繆公は引いた。この一事を、のちに繆公は悔やむことになる。
これは宮城谷作品の文章の抜粋。 繆公とは政も言っていた馬酒兵の故事の繆公であり、文公は中華の盟主である重耳、晋文公。
何で相国も蕞に行かなかった(怒)??
馬酒兵の故事のように、相手への軽蔑憎悪が強いと勝機を見失う好例とすべきだろう。繆公も周王の危急に自分の被保護者の文公に様子見を計った。それが、晋の中華への盟主への道となり、稀にみる名君であった繆公はついに中原に覇を唱えられなかった。
それでも繆公はその徳義により国と生涯を全うできたが、信が言うように好き勝手やっている呂不韋はどうだろうか? 繆公のような徳義ある傑物でも損失こうむったこのタイプのミスを呂不韋はカバーできる徳義はあるだろうか。
※原発に放水したように現場に行けばいいのかと言うのなら、『キングダム』の蕞の守城戦の展開をよく読んでいない証左である。
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